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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、世の中には、
「自分が、こんな性格でさえなければ……」
と口にする人が数多くいらっしゃいます。
しかし、性格は生得的、つまり生れついたものだからどうしょうもない。
そう思ってはほとんどの人が諦めの境地になられています。
果たして、そうでしょうか?
もし仮に人間が社会性の生き物ではなく、生まれてすぐに単独で生きる生き物だとしたら、人間がある種の性格を帯びていることに意味などあるでしょうか。
たとえば、生まれつき怠惰な性格の人間がいたとして、その人間が単独で生きる場合、怠惰という性格は何か意味を持つでしょうか。
むしろ、怠惰な性格を帯びることは、生存する上で大きなハンデになるはずです。
つまり、怠惰という性格は、誰か他に支えてくれる人があってこそ初めて意味を成す性格であり、単独で生きる上ではまったく意味を成さないものです。
神経質な性格や悲観的な性格、あるいは楽観的な性格も、人間が単独で生きているとすれば、ほとんど何の意味をも持たないでしょう。
それらは、他者との相関関係の中でこそ初めて意味を成すものなのです。
人間が単独で生きているのなら、何らの性格をも持たず環境に素早く順応する方が有利に働くでしょう。
ある種の性格を帯びること自体、むしろ不利に働くはずです。
要するに、私たち人間の性格とは、人間が社会性の生き物であるがゆえに意味を成すものなのです。
すなわち、対人関係の中で、その人のまわりの世界との関連を考慮に入れるときにだけ大きくクローズアップされるものなのです。
だとすれば、人の性格とは、生得的であると考えるよりも、生まれてから成長していく過程で家族や社会との相関関係の中で獲得されていくものだと考える方が自然ではないでしょうか。
そして、それは、その人間が対人関係の中でいかに生きていくかということを現した一種の表現形式だと言えるのではないでしょうか。
そう考えれば、同じ親から生まれたきょうだいでも、それぞれ違った性格を帯びることの説明がつきます。
従って、もしその人が自らの人生の生き方の不適切さに気づき、それを変えていくことができれば、自ずと性格も変わっていくものだと言えるのです。
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