ご訪問いただき、ありがとうございます。
心理コンサルタントの白瀧です。
さて、アルフレッド・アドラーは、人の演じる自己欺瞞について、次のように表現しています。
有名なミュージックホールでは、『怪力男』が出てきて、重しを慎重にさも大変そうに持ち上げる。
観客がそれに対して心から拍手をしている時、子どもが舞台に入ってきて、片手でひょいと持ち上げ、歩き去っていく。
こうしていんちきが暴かれる。
私たちをこのような重しで欺き、過度な負担がかかっているように見せかけることに熟達している神経症者はたくさんいる。
神経症者は、実際には、肩に世界を担ぐアトラスのようによろめく重荷を担いでいても、ダンスをすることができる。
私たちは、自分が、さも支えきれないほどの大きな重荷を背負って人生を歩いているかのように思っています。
しかし、その重荷は、実際は、幼い子どもでも持ち上げられるほど軽いものに過ぎないのです。
ただ、人生の課題から逃れるために、それが本当に大きな重荷であるかのように、自己をも周囲をも欺いているのです。
例えば、私は、かつて発汗恐怖症に大いに悩まされていました。
緊張した場面や、焦り、羞恥を感じたときなどに、額から滝のような汗が噴き出し止まらなくなるのです。
そのことが、また自らの羞恥心に拍車をかけ、一層汗が止まらなくなってしまう。
この負の連鎖から逃れられないがゆえに、そのような状況になると、
「また汗が噴き出すのではないか」
という恐怖が私の心を捉えて離さなくなり、心臓がバクバクして一種のパニック状態に陥ると、居ても立っても居られなくなってその場から逃げ出してしまう。
そのようなことが続きました。
その結果、外出するのもままならない状態へと陥ってしまったのです。
当時の私にとっては、この発汗恐怖症こそが、自分の人生における、支えきれないほどの大きな重荷だと感じていたのです。
そうして、それは、幼い頃から、私にいつもダメ出しをし、ものごとに対する過度の羞恥心や人に対する異常ともいえる恐怖心を植え付けた母や兄のせいだと怨みに感じていました。
しかし、それは、実際には、子どもでも持ち上げられる軽い重荷に過ぎなかったのです。
なぜなら、汗をかけば、ただ拭けばそれでよいだけのことだからです。
それでも止まらなければ、また拭けばよいのです。
何もそれは、恥ずかしいことでもダメなことでもないのです。
ただ、自分自身が、それを大きな重荷に変えてしまっているだけなのです。
そうして、自らの人生の歩みを止めようとしているに過ぎないのです。
今でも、私は、緊張したり、焦ったり、恥ずかしいと思ったりすると大量の汗をかくことがあります。
しかし、そのときには、その場から逃げるのではなく、ただ汗を拭くように心掛けています。
そのために、どんなに寒い真冬でも、汗を拭くためのタオルを持ち歩いています。
それでいいのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
心理学教育の必要性と『気づきの思考法』を広める活動をしています。
↓ご協力のほど、よろしくお願いします。
自分を変えたい、人生の迷路から抜け出したい、
そう思う方は、
『気づきの思考法テキスト』を読んでください。
→詳しくはコチラ