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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、荘子の話に、『渾沌の死』というものがあります。
南海の帝王を儵(しゅく)といい、北海の帝王を忽(こつ)といい、中央の帝王を渾沌(こんとん)といった。
あるとき、儵と忽とが渾沌の地で出会った。
渾沌は二人を手厚くもてなした。
儵と忽は、渾沌の示してくれた厚意にお返しをしようと相談した。
「人にはみな顔に七つの穴があって、それでものを見て、聞いて、食べて、そして呼吸をすることができる。
だが、渾沌だけにはそれがない。
お礼に穴をあけてやろうではないか。」
そこで、毎日一つずつ穴をあけていったところ、渾沌は七日目に死んでしまった。
儵と忽とは、迅速を表す言葉で、言うなれば人間の作為の象徴です。
それに対して、渾沌とは、まさに混沌。
あらゆるものが無分別に混在し入り乱れている世界を現し、自然のあるがままの状態を象徴しています。
私たち人間は、すべてのものをあるがままに受け入れるのではなく、目や耳、鼻や口といった感覚器官を通して知覚し、自分なりの意味づけを与えて理解しています。
そうして、あるがままの姿をいつしか歪め、知らず知らずのうちに破壊してしまっています。
渾沌には、目や耳がない。
それゆえ、すべてのものを分別せず、清も濁も分けることなく、あらゆるものをそのあるがままの状態で肯定しようとする立場を現しています。
私たちは、自らの意味づけによって、自分自身の姿をもあるがままに受け入れることができず、それを歪め、ときには破壊してしまいます。
そうして、あるがままの能力を使うこともせず、ただ嘆き苦しんでいるのです。
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