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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、よく政治家などが、自らの軽はずみな言動に対して非難が集中すると、
「そのような意図はなかった。誤解があったのなら謝罪します。」
というような通り一遍の謝罪の言葉を口にすることがあります。
しかし、最初から非難されるような意図がなかったのなら、もともとそのような言動をすることはないのであり、そのような意図があったからこそ、非難されるような言動を取ったと言えるのです。
このような場合、彼らの言葉に謝罪の意図を汲み取ることができないのは、彼らの謝罪が条件付きであるからです。
すなわち、
「自分を悪く思われたくないから」
「非難の矛先を変えたいから」
あるいは、
「許してもらいたいから」
などといった条件を満たすために謝罪しているからです。
言うなれば、これは、カントの言うところの『仮言命法』です。
仮言命法とは、簡単に言えば、
「○○したければ、××せよ」
という条件付きの行動です。
それゆえ、私たちは、彼らの謝罪を、謝罪ではなく単なる言い訳としてしか感じることが出来ず、到底受け入れることが出来ないのです。
中には、謝罪していながら、相手が許してくれないと
「こんなに謝罪しているんだから、許してくれてもいいだろ!」
と怒り出す人もいます。
これも、謝罪の目的が許してもらうことであるがためです。
では、本来の謝罪とはどういうものか?
それは、カントの言うところの『定言命法』です。
定言命法とは、条件を一切持たない、つまりほかに考慮すべき目的や依存する目的を一切持たずに何らかの行動を命じることです。
謝罪の場合であれば、無条件での謝罪です。
すなわち、自分が悪いから謝罪するのであり、自分に非があるから謝るのです。
それは言わば、謝罪のための謝罪。
その目的は、自分の行動の言い訳や許してもらうことではなく、謝罪すること自体が目的なのです。
その謝罪が、真に謝罪のためのものであるなら、どのような質問に対しても、何も包み隠さず返事を言うことが出来るはずです。
それゆえ、謝罪される側は、その言動を真摯に受け取ることが出来るのです。
私たちは、自らが謝罪するときには、その目的が、常に、謝罪することであることが望ましいのです。
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