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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、よく「私は、神経質だ」と言う人がいます。
私自身も以前はそう思っていました。
しかし、その人の行動をよく見ると、決して神経質とは言えないことが多いものです。
たとえば、神経質だと言いながら、喫茶店で飲み物を平気で飲んだり、レストランで食事をしたりなどなど。
もし本当に神経質なら、誰が入れたかわからない飲み物を飲んだり、誰が作ったかわからない料理を平気で食べたりできないはずです。
そもそもすべてにおいて神経質、などという人は存在しません。
もし何ごとにおいても神経質なら、自分の食べるものが安全かどうか気になって食事もできないでしょうし、トイレは菌がうようよしているのではないかと気になって入ることさえできないでしょう。
すなわち、人間が本当に神経質なら生きてはいけないのです。
では、私たちの言う神経質とは何か?
それは、行動を制限するための手段、つまり欺瞞の方法の一つなのです。
たとえば、手の汚れが気になって常に手を洗っていなければならない人は、自分の行動を大きく制限していることになります。
また、鍵を掛けたかどうかやガスの元栓を閉じたかどうか、あるいは自分の服装や髪形など外見をとても気にする人は、外出するという行動を制限しています。
几帳面で融通が利かないという人は、仕事という面で行動を制限することになります。
そして、極端に清潔好きな人などは、人との交流という面で行動を制限することになるでしょう。
このように私たちは、自分の行動の範囲を制限し行動しないための手段として、神経質という性質を利用しているのです。
自分を神経質だと思っている人は、自分の行動をよく観察してみてください。
神経質だとは言えない部分が、非常に数多くあるはずです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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