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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、アドラーは、人間の認識について、次のようなことを述べています。
我々をまっすぐな道からそらしてしまうのは、
我々の客観的な経験ではなく、
事物に関する我々の個人的な見方、
我々が諸事実を考量し、評価する仕方である。
たとえば、何ごとも疑ってかかる、という人がいたとします。
その人は、他人の言動やものごとについて、常に疑いの目を向けます。
しかし、もしこの人が何ごとも疑ってかかるというのであれば、当然、自分の認識をも疑ってかからねばなりません。
つまり、何ごとも疑ってかかる自分の認識は、果たして正しいのか、と。
要するに、何ごとも疑ってかかるという人は、結局は、何ごとも疑うことができないという論理の矛盾に陥ってしまうわけなのです。
もちろん、実際には、そのような論理の矛盾に陥っている人などいません。
なぜなら、人は、常に、自分の都合のいいようにしかものごとを認識しないからです。
自分に都合のいいようにとは、自分が無意識に信じ込んでいることを証明するような認識の仕方をする、ということです。
先の例で言えば、何ごとも疑ってかかるという人は、他人を信じることができないという考えを持っていると考えられます。
そこで、その自らの考えを証明するために、他人やものごとに対して疑心暗鬼に陥り、前に進むことができなくなるのに都合のいいようなことばかりに目を向け、それだけを疑うという認識の仕方をするわけです。
すなわち、疑いようのないものは、最初から認識の枠外に置いてしまうのです。
あるいは、自分はダメな人間だと信じ込んでいる人は、自分ができていることには目もくれず、自分がダメだと思うところばかりに目を向け、自らがダメだという考えを強化する認識の仕方をすることによって、前に進むことから逃げ出すのです。
そうして、まっすぐな道からそれて行ってしまうのです。
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