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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、小林秀雄の『考えるヒント』という著書の中に、『人形』という話があります。
書かれたのは昭和37年当時。
小林が、あるとき、大阪行きの急行の食堂車で遅い晩飯を食べているときのことです。
彼は、4人掛けのテーブルに一人で食事をしていたのだが、そこへ、60歳ぐらいの上品な夫婦が空いている前の席に相席してきた。
妻は、小脇に何やら抱えている。
見ると、それは、背広を着た人形だった。
背広は、まだ新しかったが、人形の顔は、すっかり垢染みてテカテカしている。
唇も色褪せている。
そこで、彼は気がつく。人形は息子に違いない、と。
人形の顔から判断すると、かなり以前に亡くなられたのだろう。
あるいは、戦争で死んだのかもしれない。
夫は、精神のバランスを崩した妻のために、人形を買ったのだろう。
そうして、こうやって連れて歩いているのだろう。
妻は、運ばれてきたスープを一匙すくっては、まず人形の口元に持っていき、その後、自分の口に入れる。
そこへ、大学生かと思われる女性が、彼の隣の空いている席に腰掛ける。
彼女は、若い女性の持つ鋭敏さで、その状況の意味を悟り、この不思議な会食に素直に順応したように見えた。
ふと、彼は思った。
ひょっとすると、妻は、精神のバランスを崩してはいないのかもしれない。
もしそうだとすれば、これまでに、周囲の浅はかな好奇心とずい分と戦ってきたことだろう。
それほど、彼女の悲しみは深いのか。
そして、この不思議な会食は、和やかに終わった。
最後に彼はこう呟く。
もし、誰かが、人形について余計な発言をしていたら、どうなっていたのか、と。
私たちは、ときに、他人の行動に対して、見て見ぬ振りをします。
それは、相手に共感し、その気持ちを受け入れ寄り添うためにする場合もあれば、自分の保身のためや関わり合いを避けるためにする場合もあります。
今回の小林や若い女性の行動は、前者の例でしょう。
これに対して、職場や学校のいじめに対する周囲の反応は、後者の典型的な例と言えるでしょう。
もちろん、相手のことを考えれば、見て見ぬ振りをしない方がいい場合もあります。
では、果たして、私は、このような状況に遭遇したとき、見て見ぬ振りをするだろうか、しないだろうか?
それは、他者への関心によるものか、それとも、自らのことだけを考えてのものなのか。
ふと、そんなことを考えていました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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