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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、昔から、私たちは、幸と不幸をさまざまな言葉で言い表してきました。
たとえば、『禍福は糾える縄の如し』とは、
幸福と不幸は、より合わせた縄のように交互にやってくる、
という意味で使われています。
また、同じような諺に、
『人間万事塞翁が馬』というものがあり、
人生の禍福は転々として予測できないことのたとえ、
として使われます。
(何れも意味は、大辞泉による)
あるいは、老子は、
『禍や福のよる所、福や禍の伏す所なり』
と言っており、
不運なとき、そこには幸運が寄り添っており、幸福なとき、そこには不運が潜んでいる、
と説いています。
しかし、そもそもこの世の中に、幸や不幸が存在しているわけではありません。
そこにあるのは、あくまでも現象だけです。
私たちは、ある現象を体験しているに過ぎないのです。
そして、その現象に、幸とか不幸という意味づけを与えているのです。
そうして、幸は良いこと、不幸は悪いことだという評価を下しているのです。
それゆえ、不幸な人生というものが存在するのではありません。
自らの人生に不幸だという意味づけを与えたとき、その人の人生は不幸なものになるのです。
反対に、自らの人生に幸福だという意味づけを与えることができれば、その人の人生は幸福なものになります。
自らの人生に幸福だという意味づけを与えることができるようになる。
それこそが気づきなのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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