ご訪問いただき、ありがとうございます。
心理コンサルタントの白瀧です。
さて、私たちは、たとえば、就職や入試など大事な試験を前にしていたり、何か新しいことを始めようとしていたり、あるいは体の不調で病院に行くときなど、これから何が起こるかわからない、自分がどうしたらいいのかわからない、そんなときには不安になるものです。
不安とは、言うならば、来たるべき未来に対する恐れを意味しています。
そして、人は不安な感情を抱くと不快になるがゆえに、それを解消すための行動を取るようになります。
それゆえ、不安は、場合によっては人を有益な活動へと導く原動力になります。
つまり、結果が不明で自分が何をしていいのかよくわからない、また何が起こるか想像できない、そのような状況下で人が不安を感じること自体は、決して問題があることではないのです。
しかし、人が絶えず不安を感じているとしたらどうでしょうか。
不安とは、実際の状態とあるべき状態との間の認識の食い違いに対する反応です。
たとえば、
もし実際の状態が、あるべき状態と等しいならば、充足が生じます。
もし実際の状態が、あるべき状態よりも優っているならば、満足が生じます。
しかし、
もし実際の状態が、あるべき状態よりも劣っているならば、不安が生じます。
それゆえ、実際の状態が、常にあるべき状態よりも劣っていると感じているとすれば、その人は、常に不安の中にいることになります。
不安は、自分の実際の状態と自分のあるべき状態との間にマイナスの食い違いがあると認識した時に生じるために、自らの不安と向き合い、自分の実際の状態を高める努力をし、少しでもあるべき状態に近づける活動を続けていけば、自ずとその食い違いは解消していきます。
しかし、その食い違いを埋め合わせるために、ただ不安から逃れる行動ばかりをしているとしたらどうでしょうか。
そして、その行動を自分にはまるで不安に立ち向かっているように感じさせているとしたらどうでしょうか。
その人が、いつまで経っても不安を取り除くことが出来ないのは当然ではないでしょうか。
そして、それこそが、人の演じる自己欺瞞なのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
心理学教育の必要性と『気づきの思考法』を広める活動をしています。
↓ご協力のほど、よろしくお願いします。
自分を変えたい、人生の迷路から抜け出したい、
そう思う方は、
『気づきの思考法テキスト』を読んでください。
→詳しくはコチラ