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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、先日のこと。
厳しい寒さも少し緩んだうららかな午後のひと時、自転車に乗った母子連れに出会いました。
子どもは、小学校に上がる前ぐらいの女の子でしょうか。
二人は、二手に分かれた道の前で立ち止まり、何やら話をしていました。
左手の道は、車道で車が走っています。
一方、右手の道は遊歩道になっていて、車は走っていません。
母親は、左手の道を指さしながら、
「この道は、車が走っていて危ないから、こっち(遊歩道)を行こうか」
と小さな自転車に乗った女の子に声を掛けています。
しかし、女の子は、
「でも、怖い」
と嫌がります。
確かに、遊歩道の方は、最初が少し坂道になっており、その坂を女の子は怖がっているようでした。
すると、母親が、
「怖くないから、大丈夫」
と言って女の子を励まそうとします。
それでも、女の子は、
「だって、怖いもん!」
と、先ほどよりも大きな声を出して動こうとはしませんでした。
このような親子の光景は、日常至る所で目にすることが出来るでしょう。
しかし、私にとってはとても残念な光景でした。
何が残念なのかと言えば、それは母親の対応です。
恐らく、母親は子どもを励ますつもりで言ったのでしょう。
しかし、「怖い」と言う子どもに対して「怖くない」という否定の言葉は、励ましになるどころか、却って子どもの勇気を奪ってしまうことになってしまうのです。
この場合、子どもは、
「これぐらいのことを怖がるあなたはダメな子だ」
と言われているように捉え、自分の能力を否定されたように感じるのです。
そして、
「これぐらいのことを怖がる自分はダメな子だ」
と自分でも思うようになり、自らの能力を否定し始めるのです。
そうして、そのことが、ものごとに対する不安や恐怖をさらに増大させ、何ごとにもしり込みする子どもへと成長していってしまうのです。
子どもでも大人でも、怖いものは怖いのです。
怖いから「怖い」と言っているのであって、「怖くない」と言って怖くなくなるのであれば、誰も苦労はしないのです。
恐怖を示す相手に対して、その恐怖を否定しても、ただ相手の恐怖心を煽るだけなのです。
なぜなら、相手は、ますます自分の恐怖を示そうとするからです。
重要なことは、相手の恐怖を否定することではなく、相手が恐怖を乗り越えるように勇気づけることなのです。
では、この場合、母親はどのように対処すれば良かったのでしょうか?
それは、子どもの怖いという感情に寄り添うことなのです。
そして、
「坂道は怖いね。でも、あなたなら大丈夫。うまく運転できると思うよ」
と言うか、あるいは、
「そうね、怖いね。ブレーキをかけながらゆっくり一緒に降りていこうか」
などと声を掛け、坂道の下まで来たら、
「うまくできたね」
と言って恐怖を乗り越えた子どもを勇気づけるのです。
これが子どもを『勇気づける』ということであり、子どもの言っていることを否定しても、決して勇気づけにはならないのです。
注射を怖がる子どもに対しても、よくこのような間違った励ましが行われています。
「痛いから、嫌だ」
という子どもに対して、大抵の場合、親や医者は、
「痛くないから大丈夫」
と言います。
これは、子どもにしてみれば、
「これぐらいのことを痛がる子どもはダメな子だ」
と言われているようなものなのです。
そして、実際、注射は、大人でも痛いものです。
それゆえ、注射をされた子どもは、
「痛くないと言われている注射を痛いと感じる自分は、やっぱりダメな子だ」
とますます自分の能力を否定的に捉えるようになってしまうのです。
何度も言います。痛いものは痛いのです。
ですから、この場合も、子どもの痛いという感情に寄り添うのです。
そして、
「痛いけど、あなたなら大丈夫。我慢できるよ」
と言います。
そして、注射が終わった後は、
「ちゃんと我慢できたね」
と言って、恐怖を乗り越えた子どもを勇気づけてあげるのです。
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