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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、戦時中や戦後の日本を舞台にした映画やドラマをときどき見かけるときがあります。
その中では、人々は、戦争が無意味なことであり、それによって若く尊い命が奪われることの無念さをわかっていながら、軍部に反対することができない。
それが戦争の悲劇であるかのように描かれています。
しかし、それは、本当の戦争の悲劇や恐ろしさを現してはいないと私は思っています。
戦争の真の恐ろしさは、それが『当たり前である』ということです。
日本を守るために敵を殺すのが当たり前。
若い人たちは、戦地で戦うのが当たり前。
親は、自分たちの息子を戦地に送り出すために育てるのが当たり前。
国民は国のために命を懸けるのが当たり前。
一億玉砕が当たり前、……。
最初は軍部の暴走であったものが、それを国民全体が共有するようになった途端、そのことが当たり前となって受け入れられていく。
それこそが、戦争の真の悲劇であり、真の恐ろしさなのです。
それが当たり前となったとき、人々はそのことに反対することさえ思いつかなくなる。
それこそが恐ろしいのです。
しかし、これは戦争に限ったことではありません。
私たちは、常に、この『当たり前』という恐怖に縛られています。
私たちは、『当たり前』という認識によって、思考を停止させられ、自分の視界や行動範囲を狭くしてしまい感情を掻き立てられてしまいます。
うまくできて当たり前。
……して当たり前、などなど。
しかし、私たちは、何が起こるかわからない偶然の世界の中で生きています。
それゆえ、すべてのことが当たり前だとは言えないのです。
重要なことは、それが当たり前かどうかということではなく、何がその状況にとって最善なのかを考えることなのだと思うのです。
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