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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、昨日の記事の続きです。
昨日の記事では、私たちは、『シミュレーション説』と『行動パターン説』の両方を使って、他人の行動の意味を理解している、ということを書きました。
では、それほど高度な能力を使っているにも関わらず、他人を理解するのが難しいのは、一体なぜなのでしょうか?
それは、このブログでも常に書いている通り、私たちが、他人と協力するためではなく、他人と競争するために、他者を理解しようとしているからです。
他人を理解する上で、とても重要になってくるものと言えば、自分自身に対する認識です。
自分自身をどのように認識しているかによって、この世界に対する私たち自身の認識も変わってきます。
そして、私たちがこの世界をどのように認識しているかによって、他人を理解するその目的も大いに変わってくるわけです。
たとえば、自分自身に自信があれば、私たちは、この世界をとても安心できるところだと思うことでしょう。
そして、周囲の人たちは、常に自分の味方である、という認識に至ります。
そうすれば、私たちは、周囲の人たちとより深く協力し合うために、他人を理解しようとするでしょう。
そこにあるのは、『他人のために』という他人目線の考えであり、他人の立場に立ったものごとの見方です。
当然のことながら、他人の立場からものごとを見ることができれば、他人をより深く理解することができ、他人と共感することもできるでしょう。
しかし、現実には、ほとんどの人たちが、自分自身に対して自信を持っていません。
自分に自信がないために、この世界を危険なところだと思い込み、周囲の人たちは、自分の敵ばかりだと認識しています。
そのために、私たちは、周囲の敵から自分を守るために、他人を理解しようとしているのです。
周囲の敵から自分を守るためには、他人との競争に勝たなければなりません。
他人との競争に勝つには、他人を貶めなければなりません。
それゆえ、私たちは、常に他人との競争に勝ち、他人を貶めるために、他人を理解しようとするのです。
そこにあるのは、『自分のために』という自分本位の目線であり、自分にとって有利な、自己中心的な他人の理解です。
そのことが、他人を見る目を曇らせてしまうのです。
ほとんどの人たちが、他人と協力するためではなく、他人との競争に勝ち他人を貶めるために他者を理解している、ということを如実に表す事実としては、私たちが、他人に協力を申し出る言動をするのは大いに苦手ですが、他人の嫌がることや傷つけること、困らせるようなことなどに対しては、実に的を射た言動を常にすることができることからもわかります。
その最たる例がいじめかもしれません。
人を喜ばす方法を考え付くのが難しい人でも、人をいじめる方法を考え付くのは容易なことでしょう。
それゆえ、私たちは、他人とトラブルを起こすことはとても得意なのです。
他人のことをより深く理解し、他人と協力するためには、この世界に対する自己の認識を変えていく必要がありますが、そのためには、まず、自分自身に対する認識を変えること、つまり、自分に気づく必要があるのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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