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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、私たちは、『自由』であることに憧れを抱きます。
若い人たちは、
「既存の枠に縛られたくない。自由な生き方がしたい。」
などと、よく言われます。
では、その自由とは、一体、『何からの自由』であり、『何を目指しての自由』なのでしょうか?
おそらく、それは、『社会の価値観や周囲の評価』からの自由であり、『自分が思っている通りの行動がしたい』という自由ではないでしょうか。
しかし、自由とは、本来、『認識』の問題であって、『行動』の問題ではありません。
なぜなら、社会の価値観や周囲の評価を気にし、囚われ、こだわっているのは、あくまでも本人その人だからです。
それゆえ、自分が思うような自由な行動ができたとしても、常に、後ろから、社会の価値観や周囲の評価が追いかけてくるために、決して満足のいく自由を感じることができないのです。
言うならば、それは、社会への義務や自らの責任から逃れるための自由であり、言い訳のための自由に過ぎないのです。
そもそも自由を手に入れるとは、それだけ、社会への義務や自らの責任が重くなることを意味しており、自らの行動を引き受ける覚悟が必要になってきます。
それゆえ、私たちが求めるべき自由とは、『自らの認識からの自由』であり、『自らを克服することを目指す自由』であるべきなのです。
自らの人生を引き受け、自らを克服するための努力を重ねた人は、社会の価値観や周囲の評価など、もはや気にしなくなるのです。
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