ご訪問いただき、ありがとうございます。
心理コンサルタントの白瀧です。
さて、他人に共感することと、他人に同情することとは意味が違います。
同情はときに、お節介となって他人に不愉快な思いをさせることがあります。
それは、同情が、上から目線の優越感を伴うものであるからです。
これについては、
「人がどのように情状酌量を行うのか?」
そのときの脳の活動を調べた実験が参考になります。
この実験は、男女の被験者に裁判員になったつもりで、殺人を犯した被告人の量刑を決定してもらい、そのときの脳の活動をモニタリングするというものです。
このとき、被告人の犯罪は、すべて故意による犯行に統一していますが、犯罪に至るまでの背景は異なり、一方には、被告人に同情したくなるような背景を用意し、他方には、被告人にまったく同情を寄せる要素の無い背景を用意しました。
その結果、同情的背景から犯行にいたった被告人に対しては刑を軽くし、非同情的背景から犯行にいたった被告人には、厳罰を求める傾向が認められました。
そして、そのときの脳の活動を見ると、同情的背景から犯行にいたった被告人に対して刑を軽くする判断をしているときには、尾状核という報酬に関連する脳領域が活発に活動していることがわかりました。
つまり、同情から被告人の刑を軽くしているときには、喜びを感じていることになる、つまり、優越感を得ていることが明らかになったということです。
被告人の刑を軽くするかどうかという判断は、もちろん、協力的な行為というものではなく、一方的な判断によるものです。
同情による一方的な行動という点から言えば、お節介な行動と共通する部分もあります。
このことから、同情によるお節介な行動は、何らかの形で優越感と結び付いていることが、脳の活動からも明らかになったと言えるのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
心理学教育の必要性と『気づきの思考法』を広める活動をしています。
↓ご協力のほど、よろしくお願いします。
自分を変えたい、人生の迷路から抜け出したい、
そう思う方は、
『気づきの思考法テキスト』を読んでください。
→詳しくはコチラ