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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、メディアなどで、ある食品がダイエットや健康に良いとして取り上げられると、人々がその食品にこぞって殺到するという現象をよく目にすることがあります。
このように、消費者がダイエットや健康に良いとされる食品に殺到する現象を
『フードファディズム』
と呼ぶそうで、日本ではもはやお馴染みの光景とも言えます。
食べるだけで、あるいは飲むだけでダイエットや健康に効果があるのなら、確かに簡単な方法だと思えます。
それにしても、
楽して痩せたい。
楽してお金を儲けたい。
楽して長生きしたい。
もっと楽をしたい。
などなど、私たちは、いつから楽なことばかりを追い求めてしまうようになるのでしょうか?
私たち人間は、人間としてはとても未熟な状態でこの世に生まれてきます。
そのため、私たちは、一人前の人間になるために実にさまざまな学習と訓練を繰り返す必要があります。
たとえば、赤ちゃんを見ていると、少しでも早く周囲の人たちに追いつこうと必死で努力しているのがわかります。
何かを掴もうと必死で手を動かしたり、ハイハイできるように努力したり、何度転んでも起き上がろうと必死で頑張ったり、歩けるようになったり、走れるようになったり、上手に食事ができるようになったり、それらが一人でできるようになるために、子どもたちは必死で努力を続けます。
ところが、いつの頃からか、私たちは、努力という言葉に明らかな嫌悪感を抱くようになります。
そして、その言葉を聞くと、
「どうせ努力しても無駄」
「頑張ったって同じ」
「一生懸命やってもうまく行かないことだってあるでしょう」
と言っては、努力することを止め、楽なことばかりを追い求めるようになるのです。
そこからは、『成功したい』という願望よりも、『努力してうまく行かなかったらどうしよう』という失敗への不安が垣間見えてきます。
それゆえ、楽なことばかりを追い求めるようになってしまうのです。
なぜなら、楽をことをしてたとえうまく行かなかったとしても、
「やっぱり、楽をしてうまく行くほど世の中は甘くないよな」
という言い訳ができるからです。
つまり、私たちは、失敗したときの言い訳のために楽なことを追い求めるようになるわけです。
そして、そこにあるのは、自分の能力に対する自信のなさです。
私たちは、自分の能力に対する自信を失ったとき、努力することを避け、楽なことばかりを追い求めるようになるのです。
そうして、その言い訳の通り、結局はうまく行くことはないのです。
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