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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、私たちは、失敗したときや自分にとって都合の悪いことがあると、それらにもっともらしい言い訳をつけては、自分の行動を正当化しようとします。
これは、精神分析で『合理化』と呼ばれるもので、その説明としてよく用いられるのがイソップ寓話の『酸っぱいブドウ』のお話しです。
ある日、お腹を空かせたキツネが、木にたわわに実っているブドウの房を見つけ、それを取ろうと飛び上がります。
ところが、ブドウはどれも高いところにあり、何度ジャンプしても届きません。
取れないとわかったキツネは、怒りと悔しさから
「どうせあんなブドウは酸っぱくてまずいに決まっている」
と捨て台詞を吐いて立ち去ります。
この話は、みなさんもよくご存知のことと思います。
そして、この『合理化』の解説として、人は『合理化』によって、一時的に嫌な問題や解決困難な事柄から逃れることができ、また、フラストレーションを呼び起こすような出来事を、何とか受け入れ可能なものに置き換えることができる、などと説明されています。
しかし、このキツネは、この後も、ブドウのことを思い出すたびに、常に自分に対して
「あのブドウは酸っぱいブドウだ、食べなくて良かった」
と言い聞かせなくてはなりません。
つまり、何も合理化されていなければ、受け入れ可能なものに置き換えられてもいないのです。
要するに、この行動は、うまく行かなかったことから逃げ出すための単なる『自己欺瞞』に過ぎないのです。
それゆえ、何一つ解決することができないのです。
人の行動を理解するうえで最も重要なことは、それがどのような現象であるかを知ることではなく、
”なぜ、そうする必要があるのか”、
そのことを知ることなのです。
私たちは、うまく行かないことがあると、落ち込んだり腹を立てたりするのが当たり前だと思っています。
それでは、なぜ、うまく行かないことがあると、落ち込んだり腹を立てたりする必要があるのでしょうか?
なぜ、そんなときには言い訳をして自分の行動を正当化する必要があるのでしょうか?
なぜ、たとえブドウが取れなかったとしても、
「おいしそうなブドウだけど、取れなかったなあ、とても残念だ」
で済ますことができないのでしょうか?
なぜ、私たちは、嫌な問題や解決困難な事柄から逃れるためにいちいち言い訳をする必要があるのでしょうか?
ここにこそ、人間の本質が隠されているのです。
それゆえ、”なぜ、そうする必要があるのか”、そのことを理解しない限り、人は、自分自身の抱える問題と向き合い、それを解決することができないのです。
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