ご訪問いただき、ありがとうございます。
心理コンサルタントの白瀧です。
さて、先日、『主観的な世界を創りだす方法』というタイトルの記事の中で、人がものごとに注意を向ける脳のメカニズムの一端が解明されたことをご紹介しました。
それによれば、人は、注意という機能を使って、無意識のうちに、自分にとって都合のいい情報だけを得て、自分にとって都合の悪い情報はシャットアウトしながら、自分自身の主観的な世界を創り上げていることが改めて明らかになった、ということでした。
そのような人間の姿を、痛烈な諷刺とともにストレートに描き出しているのが、黒澤明監督の『羅生門』という映画です。
原作は、芥川龍之介の『藪の中』で、平安時代のお話しです。
藪の中で、一人の武士が殺される、という殺人事件が起きました。
検非違使(警察と裁判所を併せたような機能を持つ当時の役所のこと)は、犯人として、悪名高い盗賊の多襄丸を捕まえます。
多襄丸は、武士殺害をあっさりと認め、自分がいかに彼を殺したのかを自慢げに語ります。
そんな矢先、多襄丸に強姦され行方がわからなくなっていた武士の妻が検非違使に保護されます。
武士の妻に話を聞くと、どうも多襄丸の説明とは食い違っています。
そこで、検非違使は、巫女に頼んで、武士の霊を呼び出してもらいます。
ところが、武士の霊が語る話も、二人の説明とは大きく食い違っていました。
三人は、いかに自分をよく見せるか、ということにしか関心のない自分なりの主観的な世界の話をただ繰り返すばかりでした。
しかし、この殺人事件には、目撃者がいました。
一人の杣売りが、ことの一部始終を目撃していたのです。
そして、彼が語る殺人事件の顛末では、三人が三様に演じるとても無様な姿が浮き彫りになっていくのです。
この作品が公開された当時、世間の評判はあまりよくなく、「意味がわからない」とまで言われていました。
それが、ヴェネツィア国際映画祭のグランプリを獲得するや否や評価が一転する、という曰くつきの映画でもあります。
ここにも、自分たちの評価には自信が持てないが、世界の評価は絶対的に信じる、という日本人特有の独自の世界観を垣間見ることができます。
このように、私たちは、現実の世界をありのまま体験することはできず、常に自分の関心のある情報のみで形作られた主観的な世界を体験しています。
それゆえ、私たちが抱える悩みや問題も、結局は、自分自身で創り出しているものだと言えるのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
心理学教育の必要性と『気づきの思考法』を広める活動をしています。
↓ご協力のほど、よろしくお願いします。
自分を変えたい、人生の迷路から抜け出したい、
そう思う方は、
『気づきの思考法テキスト』を読んでください。
→詳しくはコチラ