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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、「あいつは、空気が読めない」、そのように言われる人たちがいます。
空気が読めない人のことを、一時期、「空気」が「読めない」の頭文字を取って『KY』などと称されていましたが、最近では、『KY』という言葉自体もすっかり使われることもなくなりました。
この『空気が読めない』ということも、結論から言えば、自己欺瞞だと言えるのです。
彼らは、ちゃんと『空気が読めている』のです。
「そんなことはない、彼らは空気が読めていないからこそ、いつも場違いな言動をするのだ」
と言われる方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、彼らは、無意識的には、きちんと『空気を読んでいる』のです。
そして、無意識的に、敢えて場違いな言動をしているのです。
もし本当に、場の空気を読むことができないとするならば、それは、そのときにどのような言動をすればいいのかがわかっていない、ということを意味します。
どのような言動が場の空気に合っているのかがわかっていないのならば、ときには、彼らの言動が、偶然にもその場の空気に合っていることがあるということです。
つまり、彼らの言動は、その場の空気に合っていないか、どちらかと言えばその場の空気に合っていない場合と、その場の空気に合っているか、どちらかと言えばその場の空気に合っている場合のいずれかになるということです。
要するに、大きく分ければ、彼らの言動は、その場の空気に合っているか、合っていないかのどちらか半々である、ということです。
それゆえ、そのような状況が10回あったとすれば、確率的に言えば、彼らの言動がその場の空気に合っていないのは、そのうちの半分の5回であり、残りの半分は、その場の空気に合った言動をしている可能性があるわけです。
それにも関わらず、彼らが、常に、その場の空気に合っていない言動をするということは、それは、彼らが意図的にそのような言動をしている、と言えるわけです。
もちろん、無意識的にです。
以上のことから、『空気が読めない』と言われる人たちは、無意識的には、ちゃんとその場の『空気を読んでいる』のであり、無意識的に、敢えてその場の空気に相応しくない言動をしているのだ、と言えるのです。
それでは、なぜ、そのような行動を取るのでしょうか?
それは、人間関係を築く自分の能力に疑問を感じているからなのです。
そのために、このような行動を取ることによって、
「人間関係をうまく築けないのは、自分が場の空気を読むことができないからなのだ」
という欺瞞の中に自らを隠そうとしているのです。
そうして、人間関係を築くことから逃げようとしているのです。
だからこそ、私たちは、自分自身の自己欺瞞に気づかない限り、幸せにはなれないのです。
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