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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、私たち人間は、どんなに頑張っても、一生涯、自分の「井の中」から出ることはできません。
こう言うと、
「そんなことはない。世界を股に掛けて活躍されている人も沢山いるじゃないか!」
と反論されるかもしれませんね。
私がここで言っているのは、人間の行動力のことではなく、人間の脳の機能のことを言っているのです。
私たち人間の脳は、決して外界の『真実』をそのまま映し出すことはしません。
たとえば、私たちが見ている風景は、実際の風景ではありません。
私たちが見ているのは、あくまでも脳が補正した風景です。
もし、脳が補正をしなければ、私たちは、視線を動かすたびに、まるでカメラのように、風景がブレてしまって仕方がないでしょう。
しかし、私たちが見ている風景が自分の動きによってブレて見えることはありません。
どんなに私たちが走り回って動いても、風景が一切ブレて見えないのは、脳がその都度、「おそらく、このように見えているだろう」と判断し、風景を補正しているからなのです。
また、動物の鳴き声が、ときどき、まるで言葉をしゃべっているように聞こえるのも、言わば同じような現象です。
これは、人間の脳が、鳴き声の足りない情報を勝手に補い、その音に最も近い聞き慣れた音に加工修正しているために、まるで言葉のように聞こえるのです。
それゆえ、その鳴き声を日本語圏以外の人が聞いたとしたら、それは言語ではなくやはり鳴き声にしか聞こえないでしょう。
あるいは、聞き間違いなんかもそうです。
相手の言ったことがはっきり聞き取れなくても、脳は、その聞き取れなかった部分を「こう話しているのだろう」と勝手に補って、そのように聞こえたかのように錯覚させてしまうのです。
このように、人間の脳は、外界からの情報をそのまま伝えるのではなく、その足りない部分を勝手に補い自分なりに加工して私たちに伝えているのです。
つまり、私たちは、常に自分の脳が作り出した『事実』しか知ることができず、外界の『真実』を知ることができないのです。
そうして、この補い方には、人によって違いがあり、どのように補うかはその人の経験や学習によって変わってくるのです。
これが人によってものごとの捉え方、つまり、認知の仕方に違いが出る理由です。
人間が外界の『真実』をどのように補い修正して自分の『事実』として捉えているのかは、その人の認知の仕方によって決まってくるのです。
そのため、私たち人間は、一生涯、外界の『真実』ではなく、自分が作りだした『事実』しか知ることのできない「井の中の蛙」だと言えるのです。
そうして、自分がどのような『井の中』で生活しているのか、普段気づいていないために、悩んだり苦しんだりするのです。
人が変わるとは、取りも直さず、この自分が作り出している『事実』が変わることを意味します。
それゆえ、私たちが幸せになるためには、自分が作り出している『事実』がどのようなものであるかにまず気づく必要があるわけです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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