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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、『幸福の条件』、確か、かなり以前に、こんなタイトルの映画があったと思いますが、もちろん、これは映画の話ではありません。
私たちは誰しも、幸せになりたい、幸福な人生を送りたいと思っています。
では、少し使い古された命題かもしれませんが、人が幸福になるためには、一体何が必要なのでしょうか?
有り余る富でしょうか?
やりがいのある仕事でしょうか?
高い名声でしょうか?
充実したプライベートでしょうか?
豊富な知識でしょうか?
ずば抜けた才能でしょうか?
愛情あふれる家庭でしょうか?
変わらぬ愛でしょうか?
掛け替えのない友情でしょうか?
それとも、絶対的な正義でしょうか?
確かに、幸福な人生を送っている人の中には、これらのもののうち、いずれかを手にしている方がいらっしゃいます。
しかし、これらのものを手にしている人たちすべてが、必ずしも幸福な人生を送っているとは言えません。
変わらぬ愛を貫いたばかりに、苦悩の人生を送られる方もいらっしゃれば、有り余る富に囲まれながらも、幸福とは程遠い人生を送っている方もいらっしゃいます。
では、幸福であることの基本的な条件とは、一体何なのでしょうか?
それは、人間の進化の過程を考えれば、わかりやすいかもしれません。
人間は、決して強い動物ではありません。
自然の驚異や肉食動物などに比べれば、とてもか弱い存在です。
そのような人間が生き残るために進化させた方法が、集団を形成し仲間とともに自然に対抗するという生き方です。
もし仮に、ある偶然の不運が私たちの祖先である一人の初期人類の上に降りかかり、自分の集団から遠く引き離されてしまったと考えてみましょう。
やがて夜が訪れ、漆黒の闇の世界が忍び寄ってきた時、彼は、その恐怖と不安に耐え切れず、一人でガタガタ震えていただろうことは容易に想像できることです。
そして、彼は、仲間と寄り添いながら一緒に囲む火の環に帰りたいと切に願ったことでしょう。
おそらく、初期の人類にとって、仲間とともに囲む火の環は、安全や安心を与えるものであり、そこでは幸福な気分を味わっていたものと思われます。
このことを現代に当てはめてみれば、仲間と囲む火の環とは、我々が生きているこの社会そのものであり、その環に入るということは、取りも直さず、社会に適応して生きるということに他なりません。
人は社会に適応する生き方をしてこそ、安心を得ることができるのであり、幸福な気分を味わうことができるのです。
つまり、社会に適応している人たちは、幸福な人生を送っているのであり、幸福な人生を送っている人たちは、必ず社会に適応しているのです。
反対に、仲間と囲む火の環から遠く引き離された初期人類のように、社会に背を向け、社会に敵対し、社会から孤立している人たちの中に、幸福な人生を送っている人たちは一人もいない、と断言できるのです。
要するに、人間が幸福な人生を送るための基本的な条件とは、社会に適応した生き方をするということなのです。
「そんなことは当たり前のことで、あまりにも簡単すぎる」、と言われるかも知れません。
しかし、実に多くの人たちが、社会にうまく適応できずに幸福な人生を送っていないのが現実ではないでしょうか?
それは一つには、現代の子育てが、社会に適応する方法を子どもたちにしっかりと教えていないことが挙げられます。
そしてもう一つには、現代の子育てが、社会に適応するために必要な勇気を子どもたちから奪っているということが挙げられます。
この社会に適応するための勇気とは、もちろん、人生の課題に取り組み、自分の行動に対して社会的な責任を引き受けるという勇気です。
この勇気は、生まれた時には全ての人が持っているのですが、現代の誤った子育てによって、成長するにつれてどんどん失われていきます。
そして、多くの人たちがこの勇気を失っているがゆえに、自分の行動に対する責任を回避したり、他の人やものに押し付けたりする方便を探すことで頭の中が一杯なのです。
そのために、肝心な自分の能力を使うことを忘れてしまい、そうして、社会からどんどん孤立し、幸福な人生を送れないでいるのです。
それゆえ、今現在、自分が幸福だと思えない人は、この勇気を失い、社会から孤立していると言えるのです。
従って、幸福な人生を送るためには、この勇気を取り戻し、自らが自らの能力を使うことによって社会に適応した生き方をすることが必要なのであり、そのための方法を知る必要があるのです。
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