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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、先日、ドラマのタイトルから、人がものごとに対してレッテルを貼る、その貼り方に関する記事を書きました。
(記事はこちら→『逃げるは別に恥ではない』)
ただ、私が伝えようと思っていた内容がうまく表現されていなかったように感じましたので、改めてここで、補足説明させていただきたいと思います。
たとえば、以前にも紹介しましたが、現在放送中のドラマに
『逃げるは恥だが役に立つ』
というタイトルのドラマがあります。
ただし、私がここで問題にしているのは、あくまでもドラマのタイトルに使っている言葉に付された意味に関してであって、ドラマの主旨やその内容、およびタイトルの主旨ではありませんので、その点はご了承ください。
このタイトルの場合、以前にも指摘した通り、このタイトルをつけた方は、
「逃げるということは恥だ」
という認識を持っていらっしゃいます。
それは、以前の記事にも書きました。
そして、この方は、そのことを否定的に捉えられています。
つまり、「悪いことだ」と。
だからこそ、「役に立つ」という言葉の前に「だが」という逆説を現す言葉を使用しています。
要するにこのタイトルからは、
「逃げることは恥ずかしいことで悪いことです。けれども、役に立ちます」
という意味が込められていることがわかります。
もし「逃げることは恥ずかしいで別に悪いことではない」と認識していたとすれば
『逃げるは恥で役に立つ』
というタイトルになっていたことでしょう。
しかし、逃げるという状況は、恥ずかしいことでもなければ、すべてにおいて悪いことでもありません。
それゆえ、このような捉え方をすると、その状況ではなく、言葉に付した意味に縛られ、自分を責めることになります。
あるいは、誰かが、
「諦めれば、すべてを失うことになる」
と言ったとすれば、その人は、
「諦めることは悪いことであり、すべてを失うことになる」
と認識していることになります。
しかし、諦めるということがすべてにおいて、悪いわけではありません。
すべてを失わないために、何かを諦めることが必要な場合もあります。
もし、今の状況で諦めることがすべてを失うことになるのなら、
「今、ここで諦めれば、今までやってきたことをすべて失うことになる」
と表現するほうが適当でしょう。
私たちは、このように、状況を現す言葉に惑わされ、その言葉に付した自らの意味づけに縛られて、自分自身を責めている場合があります。
それゆえ、言葉に囚われるのではなく、その状況そのものを見つめるように心掛ければ、その状況の捉え方も変わってくるのではないでしょうか。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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