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心理コンサルタントの白瀧です。
前回の記事の続きです。
(前回の記事は→コチラ )
さて、岸見さんの講座は、著書『嫌われる勇気』の内容に沿ったものでしたが、途中、特に強調されていたのが、賞罰教育の弊害について。
つまり、褒める教育の悪影響。
褒める教育の弊害は、このブログでも書いていますが、たとえば、こんな例を持ち出されていました。
あるお母さんが岸見さんのカウンセリングを受ける約束をされていた。
しかし、当日、幼い子どもを預けておくことができずに一緒に連れて行くことになった。
そのため、お母さんは、カウンセリングを受けている間子どもが静にしていてくれるかとても心配されていた。
幸いにも、幼い子どもは、カウンセリングを受けている間静かにしていてくれた。
さて、そんなとき、子どもにどのような声を掛けるか?
多くの人が、
「お利口さんだね。偉かったね。ちゃんと静かにできたね。」
というような声を掛けるのではないでしょうか。
しかし、これが二十歳の成人やあるいは自分の友人だったとしたらどうでしょう。
こんな声の掛け方をするでしょうか。
こんな声の掛け方をしたら、
「馬鹿にするな!」
と相手の人は怒り出すことでしょう。
恐らく、
「助かりました。ありがとう」
と謝意を述べるのではないでしょうか。
つまり、褒めるとは、上下関係を作り出す行為であり、あくまでも相手の能力を否定する行為に他なりません。
そして、上の者が下の者の行為を評価することを意味しているのです。
そのため、子どもは褒められることばかりを望むようになり、褒められるようなことしかやらなくなります。
そして、他人に認められなければ自分には価値がないと思うようになり、他人に認められたいという承認欲求が強くなります。
そうして、他人の評価に依存するようになっていくのです。
多くの人たちが、他人からどのように見られているか、他人からどのように評価されているか、と言うことを気にしているのは、他人の評価に依存して生活しているからに他なりません。
それゆえ、常に周りの目を意識し、不自由な思いをすることになるのです。
そうではなく、周りの目を意識しない、他人の評価を気にしなくなれば、人は自由に生きることができます。
嫌われる勇気とは、要するに、他人に認められたいという承認欲求を捨て去り、他人の評価という依存の状態から抜け出すことによって自由になることを意味しているわけです。
この続きは、次回に書きます。
【参考文献】
- 嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え/ダイヤモンド社
- ¥1,620
- Amazon.co.jp
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