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心理コンサルタントのふくばです。
前回記事の続きです。→前回記事はコチラ
尾木さんは、教育評論家として、教える立場と考えていると思われるので、表現の誤りを差し引いて考えなければならないと思っています。
しかし、もし、自己肯定感が大事だと考えているなら、ほめてあげるという表現、態度はNGです。
なぜなら、ほめてあげるとは、評価することを意味しているからです。
つまり、私は評価する人(偉い人)、あなたは評価される人(偉くない人)という上下の関係です。
これが人には伝わるのです。
叱るにしても、鼻で笑った後、あれこれ良いことを言っても
バカにされているということが伝わるのです。
会話の途中、目線を何ども外し、キョロキョロしておれば、話が退屈なのか?
興味がないのか?時間がないのか?と予想するように。
人間関係は、とても繊細なのです。
だから、嫌な奴を感知できるのです。
多くの人は、人間関係が繊細であること(脳がとてもよく、そのことを感知する)
を忘れていると思っています。
人は、自己評価が低いと自己肯定感が低くなるでしょう。
自己肯定感が高ければ、自己評価は高くなるでしょう。
にもかかわらず、上下関係でしか、ものを見れない癖(劣等感のためですが、ここでは詳細は割愛します)
があるからです。
たとえば、上司は部下より仕事うえの責任範囲で偉いかもしれませんが、
人間としては、お互いに尊敬し、対等な関係です。
これを間違ってはいけません。
親が偉く、子が偉くないわけではありません。
あくまでも対等なのです(責任の範疇が違うだけなのです)。
もし、子どもがあなたが望むように立派に成長して欲しいなら、子ども扱いしないことである。
叱る、たとえそれが怒鳴るであっても、あるいは、ほめるであっても、愛があっても、
相手にどのように伝わっているのか?それが大事なのです。
伝える側が主ではないのです。これを忘れてはなりません。
もし、叱ろうが、優しく接しようが、万引きを繰り返すなら、相手に伝わっていないということです。
尾木さんの言われる自己肯定感を持つ教育、これは大賛成ですが、
叱ることで自己肯定感がなくなるわけではないと考えています。
つまり、相手を思いやる気持ち、相手を尊敬する気持ち、つまり愛が大事であって、方法ではないと考えています。
人は、叱ろうが、怒鳴ろうが、ほめようが、優しくしようが、その本質を見抜く能力を持っているからです。
その時ではなく、普段の態度をみて、その時の相手の態度をみて、主観的に決めているため信頼関係がなければ、何を言っても、難しいかもしれないということです。
続きは次回書きます。
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