ご機嫌いかがでしょうか?
心理コンサルティングオフィス ふくよしです。
人は、誰もが、自分の人生をよりよくしたいと思っています。
たとえ、それがどんなに残虐で、破壊的な行為であっても、それは、自分の人生をよりよくしたいと思ってする行動なのです。
このブログを初めて読まれる方は、びっくりされるかもしれませんが、これが、その人がその行動を止めない理由なのです。
そのためには、なぜ?生きるということをよりよくしたいのか?について、その精神のメカニズムを理解する必要があります
詳しくは、気づきの思考法のテキストに詳しく書いています。→コチラ
しかし、残念ながら、人生がうまくいっていない人は、大概、不適切な方法を採用します。
そして、自分自身に嘘をつくのです。(本人は気づいていないので、無意識的自己欺瞞と呼んでいます)
だから、ますます本質から離れ、人生がうまくいなかくなるのです。
(実は、それが本人の目的なのです)
いや、そんなことはない!と感じる方、反論される方はいるでしょう。
なぜなら、それでも、ある一点では成功しているケースがあるからです。
たとえば、それが仕事だったりします。
すべての人間には、能力はあります。しかし、個々に比較すれば、能力差はあります。
良い悪いは、評価することで決まるのであって、その能力差は、ダメなことではありません。
投入する努力が同じであっても、いわゆる才能として開花する、しないはあるのです。
したがって、不適切な方法でも、仕事で成功することはあります。
仕事で成功すれば、後はどうでもいい。きっと、お金と名声が解決してくれるだろうと考えているなら、
それは、大きな誤解だといえるでしょう。
たとえば、仕事で成功したが、愛と結婚、人間関係で失敗する人はいます。
晩年は孤独な人生となり、さらに仕事の成功に固執するでしょう。
金力が無くなれば、交流もなくなり、『人間なんて、所詮一人ぼっちだ!』という迷言をはき、どんな状態でも人生を肯定するでしょう。
そして、あなたの努力とやらは、国が没収して終わるのです。
気づかなければ、どんな状態でも自分の人生を肯定も、否定もできます。
しかし、本質からかけ離れた、無意識的自己欺瞞の中に、夢の世界をつくり、そこのただ一人の主となるのです。
それを理解し、気づかなければ、どんなに大きな城を築いても、砂の城なのです。
困難な状態のときに、まず最初に、やってはならないこと。
不適切なことを書きたいと思います。
テキストを読んだ方は、理解され、気づいたと思いますが、
次の自問は、やってはならないことなのです。
自分は、(本当は)何をしたいのか?(行動)
自分は、(本当は)どのような気分になりたいのか?(感情)
です。
この2つは、自己欺瞞を強化することになるからです。
つまり、間違った方向へまっしぐらに進み、大きく離れたところで、成功するでしょう。たったひとりの主として。
よりよい人生を生きたいのなら、まず原点に戻るための学習と訓練が先なのです。
神経症的な生き方をしている人は、常に、些細なことが重要で、人生を大局的にみることができません。常に、今この瞬間がすべてであり、今しかないのです。
だから、いつも○○○でなければならないのです。
昔、あるパーティーに呼ばれた時の話ですが、
そのパーティでは、”楽しいことは正しいこと”。というテーマを掲げ、多くの参加者が、そのテーマに賛同し、その言葉に酔いしれているように感じたのです。
しかし、もし、楽しいことが正しいことなら、
いじめることが楽しいという人には、いじめることが正しいことになる。
(※脳科学では、人間は、他人の不幸は蜜の味であると感じることが解明されています。残念ながら、他人の不幸に幸福感を持つということです。)
いやいや、それは、あなたが間違っている。
それは、本当の気持ちではないはずだ!ほんとのあなたは、そんな人ではないはずだ!と反論するかもしれません。
しかし、その反論は、ひとりひとりの人間を尊重し、
他者の考えを理解することと矛盾することになります。
受け入れないと言っていることになります。
すべて人は、私と同じ考えになりなさいと暗に言っているだけにすぎないことになります。
つまり、私が楽しく思うことは正しい。
だから、あなたも私が思うことで楽しくなりなさい。
そうすれば、人生がうまくいくと言っているようなことになる。
極論を言えば、他者の価値観(生き方)をダメだと言っていることになるのです。
では、どういう方法がいいのか?
詳しく知りたい方は、幸せになるための気づきの思考法テキスト
「気づきの思考法養成講座ー総論ー」を読んでください。
→コチラ
をクリックしてください。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
心理学教育の必要性と気づきの思考法を広める活動をしています。
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