ご機嫌いかがでしょうか?
心理コンサルティングオフィス ふくよしです。
私たちのテキストのベースとなってる心理学は、アドラー心理学です。
今では、アドラー心理学は、子育ての心理学だと思われている方も多いようですが、
アドラーの研究の成果は、神経症の研究にあります。
(当社の心理コンサルタントの白瀧氏は断言しております)
今では、神経症は、病気という狭義ではなく、人生を困難にするための症状となって、人生をうまくいかなくする根元となっているのです。
アドラー心理学は、神経症を解明した唯一の心理学だと、私たちは考えています。
だから、テキストのベースにしているのです。
神経症的な生き方は、人生において、こころの中を無意味なことでいっぱいにします。
そして、無意味なことをさせようとします。
例えば、必要以上に、何度も何度も手を洗うこと。
手が汚れている。手を清潔にしておかなければ、身に危険が迫る。と考えたり、心配したりします。
だから、常に手を何度も洗うのです。
清潔にしなければなならいです。
結果として、○○でなければならないで、人生の時間をほとんど使うことになるのです。
つまり本人の視点からは、重要で、意味あることだと続けるということになります。
しかし、正しい視点からみれば、それは、無意味なものなのです。
正しい視点とは、自分と社会の関係をみれば、意味のある建設的で、有益なものでないということです。
どこにも貢献、協力、感謝がなく、他者の姿もなく、なんの関係もないということを意味します。
つまり、この世界にたったひとりで生きているということです。
(経営哲学者のドラッカー氏の言葉をかりえば、”成果は外にある”のですから、仕事の観点からも成功もしない、お金を得ることもできないことを意味します。)
なぜなら、その人にとっては、無意味なことで、忙しくする必要があるのです。
それは、”だから他の重要なことができないのだ”と感じさせるためなのです。
人間は、無意識的にできるようになるまで、意識の訓練が必要なのです。
それは、悪い習慣は、良い習慣を身につけることで修正するという意味となります。
決して、悪い習慣を直すことに努力してはならないのです。
そのためには、感情、思考、決断、行動について理解しなければなりません。
近視眼的な視点から離れる必要があるのです。
つまり、そのためには、知識が必要だということなのです。
知識があるから、高次の視点に気づくことができるのです。
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