ご機嫌いかがでしょうか?
心理コンサルティングオフィス ふくよしです。
心理学の学習は、私たちにいろいろな事を気づかせてくれます。
その気づきの1つに、”人は、幸せになろうとする。”という事があります。
確かに、人は皆、幸せになりたいと願っていると思います。
私たち人間は、幸せになることができるのだろうか?
私の答えは、Noです。
幸せにはなれないのです。
なぜなら、(正確にいうと)幸せとは、なるものでなく、感じることだからです。
ただ、感じることなのです。
便宜上、幸せになると表現をしています。
ある意味、感じることなので、厄介でもあり、簡単でもあります。
たとえば、仕事の後のビール!というのも、仕事中飲みながらできないから、
我慢した後のビールは、幸福感をもらたります。
このように、感じることなのです。
つまり、”幸せじゃないから、幸せに感じないのであって、幸せになったら、きっと幸せだと感じるのだ。”と思う方もいるかもしれませんが、幸せに感じるから、幸せな状態にあるだけなのです。
それは、どういう意味かというと
例えば、子供の頃、空を見上げ、空に浮かぶ雲に乗ってみたいと思ったことはないだろうか?
雲に乗るには、雲に行けばいいと考えるでしょう。
しかし、雲にたどりついて、探しても探しても地上から見ていたような雲は存在せず、ここは、雲ではない!と思うかもしれませんが、雲なのです。
雲は存在するのですが、現象であって、物として存在しないのです。
だから、雲に乗ることはできないのです。
これと似ているように、”幸せ”をなるものと捉えると、幸せになることを目指し、頑張って、そのようなものにたどり着いたとしても雲の例え話のように、今、幸せの中にいるのにもかかわらず、こんなことが幸せではない!と
言い、永遠に探し続けることになるかもしれません。
これと同じようなことに、愛を見せてくれという人がいます。
これも、愛は、見れるものではなく、感じることなのです。
ジョン・レノンの歌詞にこんな言葉があります。
Love is feeling
幸せも、Happiness is feelingなのでしょう。
私たちは、物質社会で生まれ、育ち、いつしか手に入れることができる物を誰よりもたくさん持っていることが、価値があるものとして教育され、”感じるということ”は、人なら誰でもできるので、そのような事には、あまり価値がないように思うようになったのでしょうか?
それとも、そもそも感じることが鈍くなっているのでしょうか?
自分が持ってないものには価値があり、自分が持っているものには価値がない。という思考なのかもしれません。
幸せになるための気づきの思考法テキスト希望の方は→コチラ
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
心理学教育の必要性と気づきの思考法を広める活動をしています。
よろしくお願いします。
にほんブログ村