ご機嫌いかがでしょうか?
心理コンサルタントのふくよしです。
人を信じていない(信念)とは、人間関係で、傷つくことが多いと思っています(記憶)
そして、人間関係で、傷つくこと自らしている(行動)ことに気づかないようです。
さて、本題です。
物事が上手くいかずに落ち込んでいる人や悩んでいる人、
あるいは、決断できずに迷っている人などを見ると、
「自分をもっと信じなさい」
などとよくアドバイスされることがあります。
確かに、自分を信じることができれば、内なる自信が沸いてきて、
どんな障害をも乗り越えていけるような気になります。
しかし、再び問題にぶつかると、当初の自信を失い、
再び元の状態に戻ってしまっているのが多いのではないでしょうか。
では、なぜ、意識して自分を信じようとしても長く続かないのか?
それは、人は、もともと自分自身を既に強く信じているからです。
もちろん、これは、上記で言うような意識して信じているということではなく、
もっと無意識的な部分、つまり、信念を通して信じているということです。
ここで言う信念とは、
「何かを意識して信じること」や「何かを意識して信じている状態のこと」
を言うのではありません。
信念とは、人が幼い頃に抱くことになった自分自身やこの世界に対する捉え方、
いわば、評価のことを言います。
人は、幼い頃に「自分とはどういう人間か」という評価を下し、
その評価を信念として持ち、その後の生涯を通じて信じ続けます。
しかし、これはあくまでも無意識のことであって、意識には決して現れません。
そして、この幼い頃に抱いた自分に対する評価は、
ほとんどの人が、マイナスである場合が多いのです。
例えば、「私には問題を解決する能力がない」といったものや、
「私は必ず失敗する」というものがほとんどなのです。
このような信念を無意識に信じているために、
人は、何かの問題にぶつかると、
解決を先延ばしにし、問題を避けようとするのです。
そして、その行動を正当化しようとして自己欺瞞を演じているのです。
まるで自分のシッポを追いかけてぐるぐる回っている犬のように、
同じところをぐるぐる回って抜け出せないでいるのです。
従って、もし自分を本当に信じたいと思うのなら、
意識的に自分の能力を信じるのと同時に、
自分が幼い頃に自分自身にどのような評価を下し無意識に信じることになったか
それを知る必要が大いにあるわけです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
心理学教育の必要性と心理学思考法を広める活動をしています。
よろしくお願いします。