ご機嫌いかがでしょうか?
心理コンサルタントのふくよしです。
今日は、感情について書きます。
まあ。一般には、感情について、考える時、怒りでも、悲しみでも、喜びでもいいんですが、
どうして?と考えます。
私も心理学教育の学習と訓練を受ける前は、そうでした。
普段、それでもいいんですが、どうしても!これは!という肝心な時には、悩みの種となります。
特に、身近な大事な人への思いから生まれる怒りや、悲しみという感情については、日々、しんどくなるかもしれません。
だから、感情の中身について、考え、議論するわけです。
例えば、悲しいって、どうして?。って、人は、どうして?、悲しむのか?とか、怒りって?どうして?
感情の正体を知ろうとすることをします。
そして、さんざん感情について、分析し、考えていると、怒っていても仕方ないか。。。とか、悲しんでばかりいても仕方ないか。。。。となるのです。※これについては、別の機会に説明します。
あるいは、いわゆる負の感情を発散という方法で解決しようとします。
怒りまくる!って感じでしょうか。
基本、脳の機能から考えれば、発散はしない方がいいのです。
怒りは定量ではないので、まるで、グラス一杯の怒りを発散すれば、無くなると思うのでしょう。
間違いです。
むしろ、怒りを増大させ、悲しみを増大させるのです。
でも、怒ったり、悲しんでいる人は、そうした方がいいと思うところに、人間の面白いところがあるようです。
※これは信念系の話しとからむので、別の機会に説明します。
感情について、考えるとき
殴るという行為(行動)、暴言を吐くという行為(行動)は、怒りとひっついてます。
試しに、笑いながら、人を殴ってください。
怒って、殴るのと違います。力のはいりようが違います(殴る方は、だって、怒っているんだ!ですから)
笑ながら、殴られた方は、むしろ怖いです(笑
心理学では、行動に付随したものが感情と考えています。
スムーズに行動するためには、感情が必要なのです。
だから、感動という言葉があるくらいです。
これを例えれば、歩く、走る時に、手が自然と動くことに似ています。
手を動かさいと、うまく歩けないものです。
人間の行動には、目的があります。(公理)
つまり、感情にも目的があるということです。
感情をその目的のために使っているということです。
普段、そんなことを考える必要もないと思いますが、ここぞという時
例えば、大切な人が怒っている、悲しんでいる時、あるいは自分自身のことについて、その思考は役に立ちます。
つまり、その感情によって、何が達成されるのか?。どんな得があるのか?この感情はどこへ向かっているのか?を観察することです。
それは、同情であったり、優越感であったり、悲しみ(回避)であったり、するかもしれません。
たとえば、『ごめんなさい。私には、それができません。だから、助けてください』というところを
『なんで、私がこんなことをしないといけないのだ!』と怒るのです。
そして、しばらくして、さっきは、ごめん。できないから、つい腹が立って。
最初から、そう言えばいいのに。。。
※評価するところを間違っているのです。
これが、世間で言われるところの人生素直に生きれば、うまくいく、『素直に生きなさい』という言葉です。素直になるには勇気が必要なのです。
実は、これは自立の問題なのです。自立するには勇気が必要です。多くの人は、誤った教育により、勇気を育てることなく、枯れさせ、勇気を失った状態で、生きているのです。
つまり、人を尊敬し、信頼する。協力と貢献。の学習と訓練がなされていない人は、劣等感情の補償が適切ではない方法で、処理する癖がついています。だから、感情の使い方が不適切なのです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。