※今朝のブログ記事:子供の前では、言ってはいけないことファイルNo4について、補足的な記事です。
春は、夏になろうとしない。
夏もまた、春にはなろうとしない。
秋も、冬も同じ。
私はそう思える。
もし、春が夏のようならなければダメだと思ったら
もし、夏が冬のようにならなければダメと思ったら
もし、春が、夏に、冬のようになれと言ったら、
もし、夏が、冬に、秋のようになれと言ったら、
もうそれは、四季ではないと私は思う。
四季には、それぞれの役目があり、その境界がある。
しかし、春が終れば、夏に、夏が終れば、秋に、秋が終れば、冬に季節のバトンタッチをする。
春があるから夏があり、夏があるから秋がある。秋があるから冬が活き活きとできることをお互いに知っているように、私は思える。
これが、人間でいうところのコミュニケーションだと思っている。
コミュニケーションの基本は、自分がいる。他者がいる。そして、社会がある。それに、まず、きちんと気づいていることが必要なのだと思うのです。