人間を評価すると了解するの意味。そして、本質を理解するために心理学的思考を活用する。 | 人生を変える『気づきの思考法』~アドラー心理学に学ぶ人生を成功に導く方法~

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自らが演じている自己欺瞞に気づき、必ず変わることができます。

関連ブログ記事:あなたはあなたのままでOKって? なんじゃそれ?私の疑問


以前、ブログに、あなたはあなたのままでOKという話しのその根底に、”人間を了解する”というものがあることについて、書きました。


人間を評価をしない。人間をまるごと承認する。という意味で捉えてもいいのですが、こんな話がありました。



ある方(仮にAさんとします)との会話で、こんな質問を受けました。


Aさん

『人間を評価しない。確かにそうかもしれません。それが理想かもしれませんが、人間は、評価したり、比較したりするから科学や経済の発展があったのではないんですか?』



以前、言葉に文法や単語があるように、思考にも、演繹法や帰納法があるという話をしました。


思考の段階で、Aさんの文脈がねじれていることに、Aさんは気がついていないのです。(その理由は、このAさんの心理的なものが介在しているからです。)


前半の文の”評価しない”の対象は、”人間”のことです。


半の文の”評価する””比較する”の対象は、”物”や”事”のことです。


つまり、人間は、(物や事)を評価したり、比較したりするから・・・・・。という意味で、物や事を省いているのです。


その理由は、その人は、自明の事実だという思い込みがあるからです。(心理的ファクターです)


つまり、かなり乱暴に言うと、日ごろから当然のように、すべてに”評価”をしていると考えられます。



人間は、人間等の行動、思考、あるいは物質について、良い、悪い、好き、嫌い、正しい、間違っているの評価はします。ただ、人間の行動の場合は、適切、不適切という表現の方がベストだとは思います。

それ自体は、問題もないと思います。思考や行動を選択するには必要なことですから人間の機能だと思います。


人間の行動、あるいは物質について、良い、悪い、好き、嫌い、の評価はしても、その評価した人間を評価しない。という意味なのです。


もし、評価したならば、その人、そのままを体験するのではなく、評価した時点で、解釈したその人を体験することになるからです。




例えば、Aさんが、この本面白いから好き。と評価したとしましょう。


そのAさんのことを、この本が面白いなんて、知的レベルが低い人間だ。ということが人間を評価するという意味です。



例えば、Aさんが、私は乱暴だ。こんな乱暴な私はダメな人間だ。と自分を評価する。


私は乱暴なところがある。この乱暴な点がダメなことだと思っている。少しでも改善したい。


と乱暴という行為を評価する。とは違います。


後者は、次回、Aさんが、人生において、建設的、有益な面でプラスの成長が期待できるのです。