ブログ移設。
過去記事は自分の変化を知るために残しておこうと。

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先日に村田諒太選手のボクシングの試合を観たときに気づいたんだよね。

彼が勝利して私も大興奮して声を出して拍手して。

ふと、歓喜のエネルギーを身体中に実感した瞬間があった。

その時に『ああ、そういうことか』と思った。

 

その時私の中では、その歓喜のエネルギーを実感し表現することに対する抵抗の力は全く働いていなかった。

そのためその歓喜のエネルギーはしっかりと消化されて私の中には残らない。

 

感じきることが許されなかったエネルギーは体内に残ってしまう。

それらは気の滞りを起こし繰り返していくことで病を発症させることになったり。

 

全てはエネルギーだと理解されているのに『感情』についてはいまだに学校で教えていない。不思議だ。

 

そう、『感情』もエネルギー。

言ってしまうならただのエネルギー。

扱い方さえ知れば感情に翻弄されることはない。 

 

『感情』が全ての鍵を握っていると言っても過言ではないと思うんだけど。

感情のエネルギーこそが人々のそれぞれの現実を創造しているというのに。

ポジティブな感情は素直に実感し表現されることが多いけど、ネガティブな感情は押さえ込まれることが多い。

感情は感じきることで消化される。

 

感情を感じきるとは、認めること、受け入れること、ある意味降伏すること。

 

最初は強い感情ほど感情と一体化して気づきにくいかもしれない。

でもいつも感情を見張っていると、感情と自分を分けて捉えることができるようになる。

 

私の場合、例えば怒りが湧いたら

 

『私は今怒っている。』

『私の中に怒りの感情がある。』

 

と心の中で言う。

そして体に意識を向ける。

 

私の場合怒りは胃の辺りがジワジワとし熱っぽく感じられることが多い。そうしたらそれをじっくり感じる。少しすると徐々にそれがひいてくる。

 

これでネガティブな感情は成仏する。

1回じゃ済まない時もある。その時は何度もこれを繰り返す。そのうち怒りは消える。

私はそこで自分を試す。その時の怒りの原因となった出来事をもう一度しっかりと思い出してみるこで自分の中の怒りの感情が確かに消化されたか確認をするのだ。

その時は『もう大丈夫かな』と思っても少し時間が経つとまたフツフツとこみあげてくることもしばしば。そんな時はまたその怒りをじっくり感じる。そのうち本当にその怒りをの原因となったことを思い出しても何も感じなくなる。なんなら『まぁ、自分が作った現実だし』とか『あの人もきっと余裕がなかったのね』とか違った見方ができるようになったり。

ここまでくるとしめたもんだよね。自分の中で、相手との関係に禍根を残さずに済むから。相手の方はどうだか知らないけど。

 

 

短気は損気

とか

大人になれ

とか

我慢しろ

とか

 

日本人て特にネガティブな感情の表現を抑えることを強いられてきた民族なんじゃないかなぁ。だから尚更消化されにくい。

 

あとそれに、人にぶつけなくても消化できるものなんだけどね。

誰かにムカついたらクッションとかなぐればいいんだよ。クッション、ごめんね。。。

 

本当に、感情を認めて受け入れてしっかり感じきると、その感情は体から消えるんだよ。

これは怪しい話でもなんでもない。いずれは科学でしっかり説明されるようになるはず。てか科学者とかは絶対知ってるはずだよなーと思うのです。ただそれが学問になるのはまだ難しいのかな。

 

いや、違う気もするけどそこは書かないでおこうかな。

 

私、文章書くのホント苦手なんだよね。

でもそうも言ってられないと勝手に思ってるので、あまり読み返したり考えすぎないようにしてアップすることにします。