結婚ってのは、これ以上ない苦行に思えてならないときがある。
先人達は、結婚は地獄の始まりだとか、夫婦生活は我慢と忍耐だと教えてくれていた訳だし、今の世の中、1/3の夫婦が離婚している、という事実もどこかで目にしたことだろうに、何故、皆、多大なリスクを負って 、結婚という道を選ぶのか?
人は皆、ドMなんではなかろうか?結婚生活というものを実際に経験している今はそう思うのだが、どうして周りの人たちは、結婚したら、おめでとうとだけ言い、肝心なことを教えてくれなかったのだろうか?結婚するというときに、正気の沙汰か?と冷静になるように説得してくれなかったのか?試練を乗り越えてこそ、人は成長できる、という思想なのか?耐える美学か?それとも、自分が経験した辛いことを後の人にも経験させたいという気持ちからか?
そんなことはないのだろうけどさ。
都市伝説かもしれないが、この世には、幸せな夫婦というのが存在するらしい。実在するとしたら、その確率というのは10%、いや、もっと少ない気がしてならない。晴れて、離婚という人生をやり直すチャンスを得た夫婦が1/3とのことだが、何かしらの事情があって、その選択ができない夫婦も、かなりの数いることも想像に難くない。片方だけが、死ぬほど我慢した上で継続できている夫婦も相当数いるはずだ。我慢している方は勿論不幸だが、我慢させている方も、ある意味不幸だ。DV、浮気など、明らかな過失がある場合に限らず、全く悪気もなく、ただ合わないということで、相手が鬱陶しくなることも十分に起こりえる。
仮に上手くいく確率が10%だとして、90%以上の確率で苦行となるリスクを負って、10%にも満たないかもしれない当たりを目指して大きなギャンブルをするのは何故か?
結婚おめでとうは、結婚ができた人は、その幸せを掴むチャンスを得たということで、それに対するおめでとうなんだろうか?おめでとうございます、貴方は、1/10で当たるクジを引く権利を得ました。ってなことか?でも、ただクジを引いて、ハズレ~、残念でした、では済まされないリスクがある。ハズレって、相手が別にダメな人、自分が悪い、そんなこと関係なく、合わないときは合わない。しょうがないのだ。1回1000万円で1/10で1億円が当たるクジがあったら、皆やらないと思うのだが、人生も1/3から半分に差し掛かろうかと言う折、何故か大博打を打つ。不思議だ。不思議なのは、自分も含めて、そんな大博打を打つ意識がなかったこと。
結婚おめでとうは早すぎないか?それなら、10年、無事にやれたときにおめでとうで良いよな。
離婚したとき、ようやく人生をやり直すチャンスを得て、おめでとうも良いよな。
結婚したら、周りから、自分は結婚することができる人間なのだ、という証明書を貰い、首から下げているようなイメージかもしれない。いい大人がいつまでも独りであることは恥ずかしいという、訳のわからない昔ながらの常識。結婚して、証明書をもらったことに、内心、喜びだったり、安心感だったり、優越感だったり、そんなことを感じたことが、皆多かれ少なかれあるのではないだろうか?親としても、子供が証明書を貰えたことに安堵するのではないだろうか?
そんなことの為に結婚するのかな?だったら、バカバカしいよな。
心身の調子が良くない日は、そんな結婚という、人生の大きな疑問について、あれこれ考えたりもする。
また違う日には違う頭になっているかもしれないが、この苦行とも言える日々を過ごす理由を無理矢理考えてみる。
例えば、仕事をしていると、多大なストレスがあるし、不安やプレッシャーで眠れないこともある。しかし、仕事の辛さなんて、今は、結婚生活のストレスよりも何倍もマシという感じがする。人生では、大変なことが沢山起きる。いざそんな場面に出くわしたとき、結婚生活のストレスに比べたら、なんてことない、なんとでもなるさ、そう感じる強さやストレス耐性を身につけるための訓練と考えることもできる。結婚してから、仕事のストレスや不安に対して、かなり強くなった気がする。
やはり修行の一つなんだな。
敢えて触れかった子供のこと。
子供は本当に可愛いし、子供と過ごす時間に幸せを感じる。結婚しなければ、こんな幸せを感じることはなかった。夫婦生活の辛さを補って余る喜び。
これからも夫婦を続けていくのだとしたら、自分を納得させる理由や動機が欲しい。でも、「子供」が「夫婦」の生活を続ける理由や動機ってのはどうなんだろうか?子供を自立するまで育てる義務感で、そのために夫婦を無理して続けているのだとしたら、子供に与える心理的な影響も大きい。いつも険悪な状態を見せるのだとしたら。では、演技でも、無理矢理にでも笑顔を作り続ければ良いが、果たしてそんなことはできるのか?
だったら、何か自己暗示でも良いからポジティブな理由や動機を考えて続けるしかないよな。
なんだろうなぁ