「苦しみ」を一人にしない | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

 

さて、苦しみを受け入れそれと共にあることと、

 

苦しみから脱し何としてもそれを克服しようとする努力が起きているとき、、

 

 

さて、前者と後者、、どちらが本当の 「苦しみ」 だと言えるでしょうか、、

 

 

もちろん、私たちは、、(自然な流れがそうさせるのであれば)

 

雨が降れば傘を差し、傷口から血が流れているのであれば手当をし、

 

タイヤがパンクしたのであればそれを修理するということもあるでしょう、、

 

 

けれども、それが 「苦しみ」 になるのは、、

 

そうしたあるがままの状況を否定し、それらを 「不幸」 だと決め付け、

 

同時に、その 「不幸」 を経験している 「私」 というストーリー上の自分像をこしらえ、

 

その 「私」 があらゆる努力と実践、探求の末に、、「今の状況」 から抜け出し、

 

ここではない、いつか、どこにかにあるゴールや幸せに近づかなければ、、といった、

 

(あるがままへの) 抵抗と摩擦が加速しているとき、とも言えるかもしれません、、

 

 

 

 

人間の苦しみの大部分は、苦しみから脱しなければいけないという

 

必要と努力だということを発見するかもしれません。

 

そして、驚いたことに、最大の救済は

 

どんな救済もまったく必要としないところにあるのだと気づくかもしれません。

 

・・・・・・

 

苦しみを終わらせる最善の方法は、苦しみを完全に受け入れることです。

 

もし苦しみが続いたとしたら、関心を持ち、じっくりと眺め、

 

それがどう展開するかを見て、それを構成しているのは何か、

 

何で作られているか (思考、感覚、ストーリー、活動) を見て、

 

そうしたものすべてが本当にあるのかどうか、それをしている人がどこかにいるのかどうかを見て、

 

まさに今この瞬間、苦しむかどうかは選択可能なことなのかを調べます。 (ジョーン・トリフソン)

 

 

「苦しみ」 が起きているとき、、その 「苦しみ」 から逃れようとせず、

 

その 「苦しみ」 と一緒にいてあげましょう、、

 

「苦しみ」 に寄り添い、「苦しみ」 に気づき、「苦しみ」 を静かに感じてみてください、、

 

 

もしかしたら、「苦しみ」 にとって一番苦しいのは、

 

自らを無視され、否定され、一緒にいたくないと言われ一人にされることかもしれません、、

 

「苦しみ」 と共にあるとき、、私たちはきっと 「苦しみ」 だって友にすることができるはずです、、

 

 

そしてその時、「苦しみ」 に何が起きるか、、生の奇跡はどこにも行かない 「今ここ」 で起きます、、

 

 

 

 

というわけで、こちらのモン(↑)、、来月、大雪の奥会津に降臨しまっす!!。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。

 

 

※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ