瞑想はどこにも行かないこと | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

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悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

さて、一般的に言われるところの、「瞑想」 はけっこう好きな方ですが、、

 

瞑想について、まず押さえておかなければならない、大大大前提は、、

 

 

瞑想は、、どこにも行かないこと、、ということです、、

 

 

よく、瞑想することで悟りに至れるとか、

 

瞑想によって未知の次元にアクセスできるとか、

 

神秘的な体験をしてこそ真の瞑想だ、、

 

 

などと言うようなことを耳にしたりもするのですが、

 

これについては、大きな誤解であると言わざるを得ないでしょう、、

 

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というのも、、私たちの奔走探求といった個体感覚の、いわば 「癖」 であるところのものを、

 

和らげ、本来的な地平 (今ここ) に戻す、くつろがせることが瞑想の意義であるにも関わらず、

 

 

瞑想によって、どこか崇高な境地に至れるなどという考えに囚われてしまっているとしたら、

 

それは、まさに、今ここ外しの 「迷走」 とも言える様相です、、

 

 

瞑想中、、体感的に何ら神秘性を感じなかったり、

 

話に聞くところの、あるいは、以前にしたことがある超越的な体験をできなかったり、

 

瞑想を続けても日常、あるいは自分が変わり映えしない姿に 「見えたり」 すると、、

 

 

瞑想を 「求める」 ようになります、、

 

もっと瞑想し、今より崇高で、神秘的な次元に近付き、

 

さらなる超越性を体現した 「自分」 にならなければならない、、と、、

 

 

 

本来の自然さ、今ここという開かれた単純さへの帰還であるはずの取り組みが、

 

まさに、その本質を外して、迷走し続ける方向へ 「動いている」 というわけです、、

 

 

初めに言ったように、、

 

瞑想は、どこにも行かないことです、、

 

「どこか」 に行く瞑想は、迷走です、、これでは、ゴールへは遠回りが続く一方です、、

 

 

なぜなら、、ゴールとは、、一歩も動かない、今ここ、、に他ならず、、

 

ここを外しての求道は、どんなものでも思考によるまやかし (ストーリー) です、、

 

 

 

 

というわけで、、もう一言付け加えるならば、、

 

真の瞑想は、、今ここで在ること、、あるいは、、今ここそのものです、、

 

そして、究極的には、、私たちの在るという本性が、、瞑想であると言えるでしょう、、

 

 

 

※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ