昨日は、悟りによって、一つだけ知ることができるもの、、
よく言われるところの、、無知の知、、って話をしたわけですが、、
実は、、もう一つ、、
(新たな何かを) 「知る」 ってのとはちょっとニュアンスが違うものが現れます、、
というのも、それについては、誰もが初めから 「知っている」 からというわけですが、、
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無知の知、、何一つ知り得ることなどない、、
目の前のコップでさえも、あるいは、一番近くにいる自分自身でさえも、
本当のところで自分が 「何者」 であるかなんて分かりようがない、、
名前や経験、記憶や性格、周囲との関係性などが、
「見かけ」 上のアイデンティティを担ってくれてはいるけれど、、
昨日の 「コップ」 の話と同じようにそれらがすべて、仮のものに過ぎないと言うことが分かると、、
もはや、、そこには、、「私は今ここにいる」 という感覚、、
「在る」 という存在性しか、リアルなものはなくなり、、
Ⅰ AM・・・の先に何かしらが続くものはなくなるという空っぽさ、、
一方でそうでありながらも、疑いようのない明白さがそこにはあるのです、、
私は初めからこれを知っていた、、。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚
付け加えるならばこれが、、
I AM THAT I AM 、、(私は、I AM というものだ)、、ってやつですが、、
これこそが、全体に浸透する気づきの源泉であり、
宇宙の正体であるところの、、今、、まさにこの、今、、(ΦωΦ)
私たちの本当の姿なのです、、。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚
てなところで、昨日の冒頭に戻りますが、、
この体感、あるいは本性への帰還と言ってもいいですが、これは、決して特別なものではありません、、
悟った人だけが辿り着いた究極的ゴールの話でもなければ、
どこかにある神秘的な次元の話でもありません、、
これは、誰もが知っている、忘れたと 「思っている」 ことすら逆に奇跡的な、、
忘れようがないほど当たり前で、ごくごく自然な私たちのありのまま性、、と言ったところです、、。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ