ありのまま性 | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

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悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

昨日は、悟りによって、一つだけ知ることができるもの、、

 

よく言われるところの、、無知の知、、って話をしたわけですが、、

 

 

実は、、もう一つ、、

 

(新たな何かを) 「知る」 ってのとはちょっとニュアンスが違うものが現れます、、

 

というのも、それについては、誰もが初めから 「知っている」 からというわけですが、、

 

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無知の知、、何一つ知り得ることなどない、、

 

目の前のコップでさえも、あるいは、一番近くにいる自分自身でさえも、

 

本当のところで自分が 「何者」 であるかなんて分かりようがない、、

 

 

名前や経験、記憶や性格、周囲との関係性などが、

 

「見かけ」 上のアイデンティティを担ってくれてはいるけれど、、

 

昨日の 「コップ」 の話と同じようにそれらがすべて、仮のものに過ぎないと言うことが分かると、、

 

 

もはや、、そこには、、「私は今ここにいる」 という感覚、、

 

「在る」 という存在性しか、リアルなものはなくなり、、

 

Ⅰ AM・・・の先に何かしらが続くものはなくなるという空っぽさ、、

 

一方でそうでありながらも、疑いようのない明白さがそこにはあるのです、、

 

 

私は初めからこれを知っていた、、。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚

 

 

付け加えるならばこれが、、

 

I AM THAT I AM 、、(私は、I AM というものだ)、、ってやつですが、、

 

これこそが、全体に浸透する気づきの源泉であり、

 

宇宙の正体であるところの、、今、、まさにこの、今、、(ΦωΦ)

 

私たちの本当の姿なのです、、。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚

 

 

 

てなところで、昨日の冒頭に戻りますが、、

 

この体感、あるいは本性への帰還と言ってもいいですが、これは、決して特別なものではありません、、

 

悟った人だけが辿り着いた究極的ゴールの話でもなければ、

 

どこかにある神秘的な次元の話でもありません、、

 

これは、誰もが知っている、忘れたと 「思っている」 ことすら逆に奇跡的な、、

 

忘れようがないほど当たり前で、ごくごく自然な私たちのありのまま性、、と言ったところです、、。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚

 

 

 

※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ