今にくつろぐ、、
私自身もたまに使うメッセージではあるのですが、、
こうしたメッセージにすぐさま反応する思考の特徴としては、
その 「今」 がくつろげません、、
どうやったら、くつろげるんですか??
といったものがあるかと思います、、(;'∀')
これは、「今」 が 「くつろぎ」 とは程遠いという一面的な解釈に引っ張られ、
その (くつろぎの) 状態が 「どこか他のところ」 にある違いない、という
無意識的な妄信に乗っかっている反応かと思われます、、
つまりは、「くつろぐ」 ために努力をしよう、
「今」 を 「今とは違ったもの」 に作り変えよう、といった、
「抵抗」 が起きている、と言えるでしょう、、
根本的な話になりますが、「くつろぐ」 のに、努力は必要ありません、、
一番努力なしで実現できるのが、本当の意味での 「くつろぎ」 です、、
努力して、「どこか」 に辿り着こう、「何か」 を手に入れよう、、
習慣的な思考の癖、反射的なその動きに意識的であること、
その微妙な流れを動かずに見守る側でいること、、
これが、昨日もテーマに挙げた、「気づき」 の力ということになります、、
「気づき」 と共に、ただ留まる、見つめる、ということができようになると、
自然と、「くつろぎ」 が起きてくるようになります、、
そして時に、その疑いようのない真正な感覚に、
驚くこともあるかも知れません、、
なんだ、こんなにも簡単なことだったのか、、
初めから、ずっとこれを知っていた、、
ずっとこれだったじゃないか、、
これ以外であったことはこれまで一度もなかった、、
そう、この 「くつろぎ」 は、いつ何時も失われることなく、
私たちの基盤として、常に備わっているものなのです、、
これを、「恩寵」 など呼ぶこともできますが、どちらかというと、
ごくごく当たり前な自然さ、、といった所の方が個人的にはしっくりくる感じです、、
さて最後に、昨日に引き続き、ジョーン・トリフソンさんの本からちょこっとだけ(^^♪
気づきがあると、「これは違う」 と主張する思考、
「ゾーン」 とは別の何かとして存在している 「私」 を前提としている思考、
今ここ以外のどこかに行かなくてはいけない誰か、
そうしたものをただ見抜き始めます。
自分がどのようにしがみつこうとしているのかに気づくようになると、
くつろいで開くという可能性や、躍起ならず、抵抗せず、
ただくつろぐ可能性を見出し始めます。
このくつろぎは、消極的な在り方でも怠惰な在り方でもありません。
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ