例えば人権という事を軸にして考えると
人類は歴史の中で
自身の人権、他者の人権についての思想を
身につけてきていると思います。
たとえ、
その時の政権や時代の流れの中で
後退することはあっても。
また、たとえ
自分の中でまだまだだなぁ
と思う事があったとしても、です。
自分の生きる権利、
他人の生きる権利を
考えようとする程度には、
その事を考えようともしなかった時代よりは
成長しているのです。
確かに、
人権という概念は
実際には難しいもののようです。
ただぼくは、ここでは単純に
「自分の存在と行動を
何者からも制約•束縛を受けない事」と
「あらゆる他者の存在と行動を
制約•束縛しない事」
の両立だと思っています。
それ自体、案外難しい事ですが、
その中で人類は
葛藤し学習し成長してきていると
思うのです。
他者を暴力的•精神的に攻撃する「自由」は
他者の存在と行動を著しく制限•束縛します。
この葛藤の中から
人類は暴力的に、精神的に、
他者を攻撃しない事を学習し
それを理念とします。
理念としますが、
未だ自分自身が他者を
制限•束縛している事に気づき
また葛藤するのです。
こうして人類は
学習し成長してきているのだと思うのです。
ここで絶対に避けたい事は
「諦め」と「現状への執着」です。
「どうせ人類はそんなに成長はできないさ」
と思ってしまうと停滞が起きます。
総体として見るとそんな時でも
人類は成長しているのです。
想像するのは自由なのだから
成長しきった側からの視点を想像して
現状を見る事が必要だと思います。
「戦争はしてはいけない」という事は
理念というか理想としては
多数の人の中にはあると思います。
近隣諸国の現状を見れば
そんな甘っちょろい事は言ってられない、
という事になっているのかもしれません。
戦争抑止力として
防衛力を高めるという事に
なっているのかもしれません。
でも、理念としては
武器も持たず、戦争もしない、が
最高の理念型であると思うのです。
最高の理念型に近づくためには
現状からどうすれば良いのか?
そんな風に考える仕方が必要だと
思うのです。
未来の授業風景で先生がこんな風に嘆きます。
「昔、死刑という制度があり、
加害者の命を国家が奪うという事が
平然と行われていました。
昔の人は残忍だだったんですね〜。」