キドラの憂鬱と微笑 -188ページ目

キドラの憂鬱と微笑

施設の介護の事 特に 認知症ケアの事
自分史 振り返り
ファンタジー文学

マスメディアに携わる人たちは

自分たちが表現してしまった事が

その表現された事を受け取る側にとって

死活問題になるという面を

恐れを持って知るべきでしょう。

それは戦時中だけではなく、

現在においてもそうなのです。

戦時中の反省は当時は痛切にあったのだと

思います。

戦争を知らない世代は

その心を引き継げなかった人が多いのです。

暮らし、生活に密着した

感性を持っているのは女性であり、

男性は社会とか国とかの範疇に

絡め取られています。

おそらく現代においても

その傾向はあります。

おそらく少しは

当時の反省を引き継いでいるのは

女性の方が多いのでしょう。

アホな女性も散見しますが

男のアホさに比べれば

しっかりした女性もコメンテーターで

たまに見ます。

女性の方が暮らし、生活というものが

良く見えるのだと思います。

「トト姉ちゃん」の続きになるのですが

花森安治さん(物語では花山伊佐次)は

仕事の為友人の誘いを受け

下見に行くのですが、

人々の暮らすバラックを壊し

建設予定地にしようとする友人や国家に

疑問を感じ

また戦争で家族を失い

精神的にダメージを受けた人に会い

こう言います。
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そして、大橋鎭子さん(物語では小橋常子)と

暮しの手帖の製作がはじまるのです。

この「トト姉ちゃん」は

確かにフィクション化したものです。

しかし事実は

より濃密な感性があり、

やり取りがあったのではないかと

思うのです。

現在の事は知りませんが

「暮しの手帖」には

広告がなかったと言います。

雑誌にとって広告は欠かせない収入源です。

しかし広告がなければ

電通や博報堂に

振り回される事はないのです。

メーカーに媚びらず

商品別に実験をしていく雑誌なので

広告を載せないのは当然ではあります。

また花森安治さんは

おかっぱ頭でスカートだったとも

言われています。

実際にはスカートではなく

キュロットのようなもの

という説もあります。

いずれにしろ女らしさ男らしさを

超越した感覚があったのだと思います。

「政治の幅は生活の幅より狭い」というのは

生活の幅の方が

はるかに広いという意味です。

生活者として

つまり生きとし生ける者として

社会や政治を見つめる事が大切なのです。