キドラの憂鬱と微笑 -179ページ目

キドラの憂鬱と微笑

施設の介護の事 特に 認知症ケアの事
自分史 振り返り
ファンタジー文学

3個目の趣味は

やはり音楽系というか

ジャンル関係なく音が好きなのでしょう。

奏でる側ではなく

もっぱら聴く方です。

特に60年代70年代のフォークで

育った世代なので

これは何かしら身に付きまとっています。

また

叔父達や母親は

クラシックが好きで

最初はその影響も強くありました。


当時は音楽を聴くには

テレビかラジオかレコードでした。

レコードにはその回転数で

33回転とか45回転とか

レコードプレーヤーには78回転という

表示もありました。

ソノシートというのもありました。

ソノシートはペラペラの

薄いレコードというイメージでした。

テレビアニメーションを

ラジオドラマ化したようなものも

販売されていました。

アニメだけではなく

「ウルトラQ」とか

「ひょっこりひょうたん島」なんかも

ありました。

ソノシートは

雑誌の付録にもなっていました。


60年代後半は小学校から中学校で

歌謡曲、演歌、GS、フォークetc

何でもありの時代でした。

小学生の頃、進んでいる子達は

ギターを持ちGSなんかを

クラスのお楽しみ会なんかで

やっていました。

スパイダースが多かったですね。

中学へ行くとそれがフォークになります。

友人の中にはバンドを組み

北海道のローカルラジオ番組

「アタックヤング」という深夜放送の

アマチュア参加コーナーに

何回か出演していました。

アコギ2本とウッドベースという

アコースティックな

スリーピースバンドでしたが

密かにファンでした。

彼らは中学の校内放送でも

ストーリー仕立てにして

反戦的ライブをしていました。

「ドナドナ」や「イムジン河」などを

演っていました。

その頃の社会情勢もあったのでしょうが

ベトナム戦争、学園紛争、公害など

中学坊主の関心は社会に向いていきます。

中3の時に、映画「いちご白書」があり

ここでも音楽が影響してきます。

クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング

であり

バフィセントメリーであり

「Give Peace a Chance」からの

ジョンレノンなのです。

ぼくなんぞはここからビートルズを

遡って行くことになるのです。

ラジオの「アタックヤング」が終わると

1:00から「オールナイトニッポン」でした。

当時は月曜がJazzの糸井五郎さん

金曜がイマニテツオさん

土曜がかめぶちあきのぶさん

(漢字が不確かなので)

火曜日、水曜日、木曜日は

覚えてないな。

どこかに「アンコー」がいましたね。

高校の頃には

「五つの赤い風船」「高田渡」

を聞き出しました。

レコード店に行くと

この2組のカップリングLPがありました。

もともとURCという会社は

会員にレコードを送るというやり方を

していたらしいのです。

中島みゆき氏は

当時はその会員だったと

何かで語っています。

今でいうインディーズレーベルみたいな

もんやと思いますが

その頃はURCとエレックが

そんな感じでした。

エレックには吉田拓郎氏がいました。

拓郎も好きでしたね。

URCはその後内部のゴタゴタも

あったようですがその事は全く知りません。