ドキュメンタリー作家ではなく
ジャーナリストだと
自らおっしゃいます。
ドキュメンタリーには
監督の主張したい事があり
被写体を通じてそれを語るという
ニュアンスを感じます。
ジャーナリズムは報道であり
客観的事実を伝えますが
土井監督のおっしゃった意味は
自分が何を伝えたいか、
という事を超え
この映画で言えば
元「慰安婦」のハルモニ達が
共同で暮らし「記憶と生き」ている事実が
優先するという意味に感じました。
映画祭2日目の2番目の上映は
「“記憶”と生きる」 土井敏邦監督
でした。
アベとパククネは
慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的」に
解決すると合意しました。
元慰安婦を支援するために
韓国が設立する財団に
日本政府は10億円を支払う、
韓国政府は今後この問題を蒸し返さない、
という事です。
ぼくの感覚がおかしいのか?と
思ってしまいました。
あってはならない事をしてしまった時、
2度と繰り返さない為に
自分の心に刻むのが
本来の人間のあり様ではないのか?
と思うのです。
全く一緒の事にはできないけど
例えばドイツがユダヤ人に
お金を払うから
ホロコーストには触れないで、とは
絶対にならなかったのです。
むしろ収容所を保存し
分析も続けています。
映画は
第一部 「分かち合いの家」
第二部 「姜徳景(カン・ドクキョン)」
の二部構成です。
撮影はほぼ1994〜1997年です。
20年前です。
分かち合い(ナヌム)の家に集っていた
ハルモニ達はもういません。
「元慰安婦」という共通点を持つ
ハルモニ達は
性格は違えど時にはぶつかりながらも
協力し生きています。
毎週水曜日には日本大使館の前での
水曜行動に出かけます。
ただ1日1995年の1月18日は
その行動をやめています。
阪神淡路大震災の翌日
18日が水曜日だったのです。
浅薄に考えると日本で起きた災害には
無関心でもと思うのですが
心配そうにテレビに見入る
ハルモニ達の表情が印象的でした。
戦争中は「創氏改名」があり
韓国語を話すのを禁止されていたので
当時を知る韓国のハルモニ達は
日本語を知っていても話さないと
聞いていました。
ナヌムの家のハルモニ達は
土井監督に時々日本語で話されています。
監督がハルモニ達に入り込み
信頼されていたからではと推察します。
