キドラの憂鬱と微笑 -121ページ目

キドラの憂鬱と微笑

施設の介護の事 特に 認知症ケアの事
自分史 振り返り
ファンタジー文学

長〜い歌です。

「1923年福田村の虐殺」という歌。

でも聞き入ってしまいました。




当時の

時代が持つ雰囲気が

関東大震災を契機に

こんな形で噴出したのでしょう。

デマゴーグにより朝鮮人虐殺が

全国で行われた事はよく知られています。

しかしこの歌の登場人物には

朝鮮人は出てきません。

それを考えると

朝鮮人虐殺が当たり前という感覚が

ベースにある時代感覚なのでしょう。

虐殺の対象となったのは

行商を生業とする遠く香川の

被差別部落の一団です。

しかも

朝鮮人として間違って虐殺されるのです。

時代感覚というのは恐ろしいものです。

殺人者達は刑に服するも

(弁護費用も村で、つまり公費で賄われた)

昭和天皇即位の恩赦で釈放され

犯人の1人はその後村長になり

市会議員にもなります。

つまり人々の信望を集めるわけです。

事件はその後触れられる事すらなく

過ぎてきました。

部落解放同盟が取り上げる事で

少しづつ研究発掘されてきています。


僕たちが知らなければならないのは

関東大震災により

朝鮮人虐殺が起きたのではなく

その雰囲気は震災以前からあった

という事です。

自分たちとは異質な人々を

差別し迫害す事を「良し」とする

感覚です。

それは現代、現在の感覚に近いのです。

福島原発事故からの避難者が

全国でイジメを受けているというニュースも

その1つでしょう。

新潟のそれは教師さえ

「〜菌くん」と呼んだという、

しかも本人から

相談されていたのにも関わらず。

悪意を感じるのですが

本人にその意識がないのが恐ろしいのです。

イジメ、差別、虐待が

当たり前になっているのです。

その時代を作っているのが

アベたち、為政者とそれを補完する者達です。

それは雰囲気として作ったというより

具体的に政策として

作り上げてきているのです。

この人達が自分たちのしている事を

振り返り反省する事はありません。

マスコミはその根本的な

作られた仕組みを分析する必要があります。