キドラの憂鬱と微笑 -122ページ目

キドラの憂鬱と微笑

施設の介護の事 特に 認知症ケアの事
自分史 振り返り
ファンタジー文学

昨日12月1日は

小林多喜二の誕生日だそうです。

従来言われていた10月13日は

旧暦表記だとか。

多喜二は1903年、秋田に生まれ

その後小樽に移り住みます。

その後小樽高商(現在の小樽商科大学)へ進み

創作活動や労働運動に関わっていきます。

文学的には志賀直哉が

大好きだったようです。

志賀直哉は

プロレタリア文学を

「主人持ちの文学」と批判したと

言われています。

正直な話し、まんざら言えない事はないと

思います。

でもその批判は

数冊の本を読んだだけのものだったようです。     

多喜二は共産党の地下活動に入る前に

志賀直哉に会いに尋ねて行きます。

2人は10年間ほど

文通をしていたらしいのですが

直接会うのははじめてで

一泊したそうです。

遊びを知らない多喜二を

志賀は自分の子供も一緒に

近くの公園へ散歩に行きました。

多喜二はよく子供さんの相手をされ、

志賀とも和やかに文学談義をしたと言います。     

志賀は以下の通り回想します。

「大体において僕の言っていることを

   肯定していた。その肯定が

   僕の立場に立っての肯定であることも

   僕には分かっていた。

   その点で人柄がいいとも思ったし、

   すっかり大人だと思って、

   それまで抱いていた

   プロレタリア作家というものに対する

   僕の考えを直してくれたような人だ。」

多喜二が権力に殺された時

文豪は以下のように書いています。

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そして志賀は多喜二の母親に

慰めの手紙も書いていると言います。

現在の警察は図に乗り

戦前の特高警察まがいになっています。

先日も話題になった6年前の

取調べ中の奈良の医師の容疑者の死に関する

ニュース。

高江の機動隊の住民に対する差別発言等々…


話がついずれてしまいます。

僕は人が紡ぎ出す

人間味あるエピソードにこそ

注目したいと思っているのです。

多喜二の印象は

拷問死したあの写真の印象が大きく

またプロレタリア作家のイメージが先行し

政治的面が大きなパーセンテージを

占めてしまいます。

宮本百合子が描く

多喜二と最後に別れる場面では

彼は陽気におどけてみせます。

弟と地下活動中に会った時は

ベートーベンを聞いて涙を流します。

そしてこの志賀直哉とのエピソードに

多喜二の幅の広さを感じるのです。