西暦で1901年です。
20世紀そのものを生き
1989年に亡くなりました。
富山県の砺波の農家の娘で
十代の頃北海道の小樽に
同郷の娘三人で奉公(というのか?)
に出されています。
富山も雪国なので
そういう面では
問題はなかったのでしょうが
当時の北海道には
植民地という意識が
日本人の中にはあったと思われます。
北海道人は今でも青森以南を
「内地」と呼びます。
十代の娘達が
そんな最果ての植民地に
どんな思いで汽車に乗って来たのか
心細さを互いに紛らわせながらの
旅路だったのだと想像します。
後に
一人は国もとに帰ったそうです。
二人は小樽に残り
それぞれ結婚します。
祖母は鰊漁の網元の家に嫁ぎます。
その少し前までは鰊漁は
御殿が建つほどの賑わいでした。
だから一見祖母は
玉の輿だったのです。
その家は秋田県からの移住でした。
子供がなく養女をとり
南部岩手の農家から
養子縁組をします。
その夫婦が
ぼくの曾祖父母にあたります。
その長男が祖父でした。
曾祖父は興味深い人で
御殿が建つほどの隆盛を誇った
鰊漁網元の
経済基盤を崩してしまうのです。
いわゆる「カマドをひっくり返した」
のです。
俗に言う「飲む打つ買う」で
全道を渡り歩いてい人のようです。
祖母はそのさなかに嫁いだのです。
砺波の実家は
かなり裕福な農家だったようで
おおぜいの兄弟姉妹の中で
1番苦労したらしいのです。
長女であるぼくのオバが産まれ
長男の父が産まれても
経済状況は上向かず
祖父は漁にも見切りをつけ
勤め人になります。
祖母の日々に力を与えてくれたのは
富山から一緒に出て来た
友人だったのでしょう。
友人にも色々な悩みがあり
互いに相談しあい
力を分け合っていたのでしょう。
友人は晩年
認知症になってしまいます。
祖母は
「~さん、耄碌たかってしまって」
と嘆いていました。
もうろくたかる
というのは北海道方面の
言い回しのようです。
たかるは集ると書きます。
自嘲気味に使う場合もあります。