表現について③ | キドラの憂鬱と微笑

キドラの憂鬱と微笑

施設の介護の事 特に 認知症ケアの事
自分史 振り返り
ファンタジー文学

表現について考える場合

表現する側の立場と

表現を受け取る側の立場とを

分けて考える必要があります。

認知症の方が機嫌が悪い時

介護者達は「不穏」と

言います。

「不穏」には必ず理由があります。

例えば、便秘が続いているというのが

一番ありがちな理由です。

本人からすれば便秘が続き

何かわからないけど

イライラして気分が優れない、

この気分の悪さは

この介護者のせいだ、

となり「不穏」になるのです。

便秘が解消すると

上機嫌になり

態度もコロッと変わります。

うまく表現できない人には

その表現の意味を考えなければ

なりません。

表現された事の背景には

表現する人にまつわる

理由であったり

その人を取り巻く環境であったり

理由はいくつもあるのだと思います。

表現された表向きだけを

考えるのではなく

その裏に潜むその表現に至る

本当の理由を考えなければ

その表現された本当の理由、

またはその意味はわかりません。


実は表現するがわも

その理由も意味も

わかっていない場合があります。

自分が表現し

その表現されたものを通し

意味、理由を考えます。

そしてまた新たな表現が出てきて

自分の中で格闘を始めます。

そういう動きがあって

自己表現ができてくるのでしょう。


SNSやブログも

表現手段でしょう。

手軽で障壁もあまり高くありません。

これは良い事だと思います。

表現が発する側と受け取る側で

成り立っているならば

人類史上最も自己表現し易い

時代でしょう。

だからこそ

表現という事について

真剣に考えなければ

この自由が侵される事に

なってしまう危険性があります。