当日大きな揺れで目が覚めました。
しかし、阿倍野区は
結果的には大したことはなく
わが家でもタンスの中の
人形が倒れたくらいでした。
地下鉄は堺筋線のみ動いていました。
そこで自転車で動物園前まで行き
そこから南森町に出て
当時会社のあった西梅田まで
歩きました。
雑居ビルのワンフロアを
借りていたのですが
中はぐしゃぐしゃでした。
壁が剥がれたり
棚などが倒れたりしていました。
年配の同僚が出てきたので、
二人で棚を起こしたり
商品在庫を戻したり
東京の本社に連絡を入れたり
大阪市店の同僚達に
連絡をとりました。
大阪支店は全部で十人ちょっとの
社員数でしたが
神戸の二人には連絡が取れません。
その二人からは一週間位してから
連絡が入りました。
翌日か翌々日かから
神戸方面の得意先の
薬局薬店を食料や物資を持って
まわりました。
阪急電車が西宮北口までは
走っていました。
西宮北口から徒歩で
得意先によりながら
とりあえず三ノ宮まで歩きました。
芦屋の得意先の店舗前は
御遺体を置く場所になっていました。
六甲道のお店は
無事でしたが
お住まいの家は全焼だったとの事。
三ノ宮のSOGO百貨店が
まるで積み木のように
上半分がずれてました。
想像を超える風景でした。
3.11.の東日本大震災は
映像でしが知りませんが
やはり想像を越えていました。
これだけの地震大国に
生まれ、
何度も大きな地震を体験し
知識があっても
その都度想像を越えます。
想像を超える震災が来る
と考えて、
僕たちは暮らさなければ
ならないのだと思います。