2年の時、
部員8名、
全員同学年、
その年は、その人数で1年過ごした
弱小部だった
小樽市内には8校、高校があり
内7校に、演劇部があった
その年、僕らが小樽代表になった
小樽大会があり、
そこで優勝
全道大会に駒を進めたわけだ
全道大会はその年は、釧路だった
全道大会は悲惨な結果だった
しかし僕らが影響をうけたのは
釧路の高校の演劇部が
複数の高校が集まり、
一校の演劇部だけでは難しい
多幕物の本格的な演劇公演を
してるということ
合同公演と称していたが、
それを最初に北海道で企画したのは
小樽、つまり僕らの先輩達だった
そこで僕らは
小樽の各高校の演劇部に提案した
各高校の思惑やいろんな物がからみ
会議はすったもんだ。
「野っばらでもいいからヤロウや」
わが校の友人の言葉が決めてになり
決定
脚本は前進座から独立した統一劇場
のもの
芝居づくりの過程では
一校の校長からその高校の演劇部は
参加させないなどのいやがらせ
全員で談判に行こうとするところを
顧問に止められた
顧問が交渉し
個人参加で認めさせてくれた
統一劇場劇団員や主催者で脚本家の
木村快さんとの交流会も開催
合同公演も成功裡に終わった
青い青い時代の話でした
後日談があります
工業高校の友人は統一劇場にはまり
統一劇場に就職
統一劇場は
当時山田洋次監督と親しく、
映画同胞(はらから)で取り上げられた
映画の中で
「野っばらでもいいからヤロウや」
の言葉が使われている
合同公演のパンフにも書いてたから
友人は同胞にもでているが
その後、寅さんシリーズの
冒頭のタイトルバックの
江戸川べりのシーンによく出てる
友人の話では
あのシーンは統一劇場の団員が
よく駆り出されてたとのこと
友人はその後芝居を辞め
会社経営をしてるらしい