友人が芝居をやっていました。
満開座 という劇団で、
彼は、看板役者でした
後に彼は
井筒監督のガキ帝国でデビュー
そして、東京へ出て、
いろいろな作品に出て
露出が増えて来たのですが
病気になって、亡くなりました
その満開座、
いつもは立命の学生会館とか
京大西部講堂とか屋内公演でしたが
出町柳の賀茂川と高瀬川の合流する
三角州で屋外公演を行いました
そこに四方から見る事ができる
ステージをつくり
2本だて上演
友人はほとんど主役で
暴れまくってました
上演終了後、
その場で観客とスタッフ入り乱れ
酒盛り
鴨川に飛び込んだり、
ひっちゃかめっちゃか
生まれたばかりの捨て猫を
誰かが見つけて来ました
結局、
立派な野良猫に育てる役を
僕が引き受けるはめに
当時、僕は
蚕ノ社というところに下宿していて
その時猫を連れてどうやって
帰ったのか、思い出せません
その蚕ノ社の下宿は
大家さんの家に隣接していて
一階はサラ金屋さん
2階は二部屋あり
そのうち、9畳の部屋が僕の下宿
もう一部屋は空き部屋
京間の9畳はかなり広くて
子猫と暮らすには充分でした。
3畳の押入もあったので、
そこが猫の部屋
夜に結構鳴く猫で、
大家さんにもバレそうになりました
蚕ノ社というのは嵐電の駅名で
近くにその名の神社がありました
敷地の中は、鬱蒼とした感じで、
鳥居を三角形に繋いだ形のものが建つ
池がありました
説明の看板にはネストリウス派云々
の説明があったと記憶してます
蚕ノ社、太秦、帷子の辻
という駅名を見てるだけで
京都って感じになります
渡来人の秦氏が住んでいた地区で
織物の技術を持っていた秦氏が
養蚕の技術も持っていて
この社を建てたとのこと
そこへ、何度か子猫を散歩に連れて
行きました
ある日、近隣の子供達がやって来て
驚いた子猫は
境内の下に逃げ込んでしまいました
子供達がいなくなった後も
何度呼んでも
出て来ることはなかった
何日か、毎日足をはこびましたが
それから、
二度と会う事はありませんでした
僕が、立派な野良猫に育てる事は
できなかったが
自身で立派な野良猫になっただろうか
猫の寿命はわからないが、
仮に7年とすれば、
もう五世代、代替わりしてる
ある日、町を歩いていると、
一匹の野良猫に話かけられる
「先祖が、大変お世話になりまして
今では、我が家系も大きく広がり、
安泰で御座います」
「いえいえ、結局、僕は
何もできませんでした」