幼少期におけるカルト宗教教義の刷り込みが発達に及ぼす影響に関する考察 (PDF形式)
概要
1. 問題
フランスの法律においてセクト(カルト)と定められている宗教が存在し、その条件として「精神の不安定化、法外な金銭的要求、生まれ育った環境との断絶の教唆、健全な身体の損傷、児童の徴用、多少を問わず反社会的な教説、公共秩序の攪乱、多くの裁判沙汰、通常の経済流通経路からの逸脱傾向、行政当局への浸透の企て」(Wikipedia, 2012)があるとされている。一世信者である親の場合は自らの選択によって選んだ宗教であるために多少の問題も承知した上で、信仰すればそれ以上の益が得られるとの確信を持っている場合が多い。しかし二世信者はその宗教が善いものであると確信する前に信仰することを親から強いられる。親が信者である場合、子どもに善い行いをさせることを親として当然の義務であると考え自らの信仰を子どもの意思に関係なく強いる場合がある。秋本(1998)は典型的なエホバの証人二世信者であるタカシという架空の少年が、入信するにあたり行われる洗礼を受ける際の判断について「タカシはよく理解して判断したつもりでしょう。しかし十二歳の子どもの、まわりの影響によって最初から結論を与えられている環境下での判断が、正常であるか、どうかは疑問が残ります」と述べている。浅見(1997)は洗脳について「本人が望んでないのに強引に本人の思想や信念を変える方法」であると定義しており、マインドコントロールについては「変えられていく本人が自分では自発的に納得していると思うような状態で変えること」と定義している。二世の信教の自由の保障とは二つが入り混じった環境下での信じる自由のみの一面的な保障であると言える。
本稿の目的は1.オウム真理教二世信者の経験、様子を基に主として母子分離が引き起こす影響について考察すること 2.エホバの証人二世信者の経験、様子を基に主としてアイデンティティに関する問題について考察することである。
2. オウム真理教二世信者における問題
オウム真理教の子どもが児童相談所に保護された後、自由時間で遊ぶ様子について米本(2000)は「集団でいながらてんでばらばら」であると述べている。小石(2007)は「乳児の行動に対して周囲からまったく何の反応もなければ、対人的な関心は育っていかない」とも述べている。オウム真理教では愛情で結ばれた親子関係を悪いものであると教唆される。そこには執着心が存在し、子どもが親の所有物のように扱われていると捉えるのである。愛着の構築に問題があることを示す特徴として米本(2000)は「ベタベタ」と呼ばれる対人行動を挙げている。この行動は見知らぬ大人を相手にただベタベタとまとわりつくものである。しかし米本(2000)の観察では「ある女の子は親が来たら身体を硬直させ、そのあと逃げ出してしまった」と述べられている。このことから愛情に飢えている反面、その原因となった母親に対しては不信や不安を感じていることが見てとれる。またオウム真理教の子どもには愛情遮断性小人症と呼ばれる症状が見られる。愛情遮断性小人症とは「母親が子どもの養育行動を愛情を持って行わないために生じる状態」(米本, 2000)である。また、ホスピタリズムの問題に関して、オウム真理教の子どもでは牛島が述べる施設での保育行為の特色のうち「(1)保育行為そのものが少ない。(3)事務的な接触が多い。(4)子どもの欲求や働きかけに対する反応が不足している。(5)一定の保育者が得られない。」ことが当てはまる。
3-1. エホバの証人の親子関係に関する概要
エホバの証人の養育態度については米本(2000)が「子どものことに重きを置かないオウムの親子関係は疎遠だったが、『エホバの証人』は極めて濃密である。子どもの未来は破滅か楽園しかないから、親は真剣そのものなのだ」と述べているように、教義によって積極的に子どもの教育に携わることが良しとされている。Baumrind(1966)の指標では「行動基準を親自身でなく宗教など外的なものに求め、基準にそぐわない子どもの行動を力によって抑制する」ことを権威主義的教育であるとし、権威ある養育と区別している(市川,1997) 。米本(2000)の「エホバの証人の子どもは、子どもらしく振る舞ったときに叩かれているんですよ」とのムチに関する記述からエホバの証人の養育態度について窺うことができる。このような経験を重ねればいつしか「悔しくても、悲しくても、楽しくても『うん』と反応するだけ」(米本, 2000)となり、感情を過度に抑圧することになる。ルイスら(1993)によるストレスに対する乳児の反応の日米比較研究では、泣きに関しては米国の乳児のほうが、泣きの程度が大きく、泣いている時間も長いが、コルチゾールの量に関しては、日本人乳児のほうが分泌量が高く、よりストレスを感じることが明らかにされている(江尻,2006)。このことから感情の表出を抑えられるよう教育された場合、ストレスをより強く感じると言える。さらに米本(2000)はエホバの証人の子どもの経験について「親から愛されなかったわけではないが、それはあくまで『条件つきの愛』でしかなかった。集会参加や伝道訪問を続ければ愛され、『エホバの証人』的な生活を守ればかわいがられる。そうでなければ愛されない」と解釈している。それは「躓いていると判断されると、むやみにその人に接触することは禁じられて」(米本, 2000)おり、それは「親子でも例外ではない」(米本, 2000)ほどである。条件付きの愛が及ぼす影響に関して米本(2000)は「親から自分の存在を無条件で肯定されたことのない二世たちは、自分で自分に自信がもてない。自分の存在が肯定できなければ、他者を認めることもできない。その結果、人との付き合いがうまくいかなくなる」と述べている。
3-2. エホバの証人二世信者の就学前における問題
まずエホバの証人の子どもが抱える問題点として挙げられることは「二世の多くは幼稚園や保育園を経験したことがない」(米本, 2000)ことである。倉持(2004)は幼稚園、保育園において学ぶことの一つとして、いざこざなどの相互干渉に、保育者が必要に応じて介入していくことで、集団で暮らしていくのに必要な力を身に付けていくことを挙げている。エホバの証人の子どもでは主として親が介入するが、その介入の仕方に関してもエホバ神を中心とする教義に影響されたものであり、子どもにとってこのような叱責は受け入れがたいと言える。
3-3. エホバの証人二世信者の就学後における問題
「クリスマス、七夕、ひなまつり、端午の節句、節分、正月、誕生会、焼香、祭り、結婚式―――。日本の行事、冠婚葬祭のすべてといっていい。教会や神社・仏閣の境内に入ることも、元旦に「明けましておめでとう」と挨拶するのも、年賀状を書くことも、御法度である」(米本, 2000)ため、このような学校行事に参加しないエホバの証人の子どもは非信者である子どもにとって特異な存在として映る。エホバの影響を受けた良いものであるか、サタンの影響を受けた悪いものであるかの二択でのみしか物事を捉えられない思考では学齢相当の発達段階にある集団で馴染むことは難しいと考えられる。
3-4. エホバの証人二世信者の思春期以降における問題
彼らはエホバに対して敬虔な証人でありさえすれば良く、それ以外の何者である必要も無い。またそれ以外の何者であってもならないと言える。つまり彼らがエホバの証人であるうちはエホバの証人であるということのみがアイデンティティであるため、Marcia, J.E.(1966)によるアイデンティティ・ステイタスのうち早期完了に当たると考えられる。そのため脱会が遅れれば改めてアイデンティティを確立する必要が生じる。自分で悩み得た元々のアイデンティティが存在しない二世であればさらに大きな問題となるのである。エホバの証人の子どもに許されていない部活動の所属について角谷(2004)は、中学生の時期には、自分で選択しさまざまなことに挑戦したり主体的に活動できる場や仲間との持続的で親密な関係を必要とするようになるが、部活動はそのような場を提供する役割を果たしていると指摘している。宗教活動に全てを捧げなければならないエホバの証人の子どもは自らのアイデンティティを確立する機会がことごとく奪われていると言えよう。
4.まとめ
今回米本(2000)の著書を用いて検討することによって、親の信仰するカルト宗教の教義は二世信者とされた子どもの発達に深い影響を与えていることが明らかになった。
対策として挙げられることはカルト宗教被害者である二世の集う自助グループに所属することや、時間を掛けながら問題を克服することのできる環境に身を置くことであるが、後者に関して実現させることは非常に難しいと言える。子どもであれば発達の未熟さを原因として理解されないことから、大人であれば社会や企業若しくは個人であっても余裕の無い昨今の状況から許されない場合が多いと推測できるからである。しかしまずは一対一の関係から立ち直ることが重要であると筆者は考える。
引用文献
浅見定雄 (1997) なぜカルト宗教は生まれるのか 東京:日本基督教団出版局 p.215
小石 寛 (2007) 子どもの発達と心理 東京:八千代出版 p.11
米本和広 (2000) カルトの子 ―心を盗まれた家族― 東京:文藝春秋
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