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La*fille -fausse-

気の向くままに、書き残したいから書く。朝倉のねこやんクオリティ(低)。

正木 弥氏による新世界訳聖書改ざん実例紹介に関する考察。


王国逐語訳
Sitting but of him upon the Mount of the Olives came toward him the disciples according to private[spot] saying Say to us when these (things) will be, and what the sign of the your presence and of conclusion of the age.

英語版新世界訳聖書
While he was sitting upon the Mount of Olives, the disciples approached him privatery, saying: "Tell us, When will these things be, and what will be the sign of your presence and of the conclusion" of the system of things?"

日本語版新世界訳聖書
[イエス]がオリーブ山の上で座っておられたところ、弟子たちが自分たちだけで近づいて来て、こう言った。
「私たちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして、あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。

新改訳聖書
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

新共同訳聖書
イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」

口語訳聖書
またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。

Good News Bible
As Jesus sat on the Mount of Olives, the disciples came to him in private. "Tell us when all this will be," they asked, "and what will happen to show that it is the time for your coming and the end of the age."

King James Version
And as he sat upon the mount of Olives, the disciples came unto him privately, saying, Tell us, when shall these things be? and what shall be the sign of thy coming, and of the end of the world?


※ジーニアス英和辞典より
・age=時代、時期、長い間。
・conclusion=結末、終局、結び。
・disciple=弟子、信奉者。
・presence=存在(すること)、いること。
・thy=“your”の古い言い方。なんじの、そなたの、そちの。

1.<世>臨在=<改>来られる時(来臨)か

●“臨在”とは“現在の状態を示す言葉”である
→ブリタニア国際大百科事典で調べると“現存”に同じとされている
→“現存”の項目では“現に目の前にあること”と述べられている

★結論:臨在=来られる時(来臨)ではなく、二つの言葉ないし単語はそれぞれ別の意味を持っている。


2.問題部分の各訳比較

●新世界訳日本語版
→あなたの臨在

●王国逐語訳
→your presence

●新世界訳英語版
→your presence

●新共同訳
→あなたが来られて

●新改訳
→来られる時

●口語訳
→あなたがおいでになる(時)

●Good News Bible(GNB)
→your coming

●King James Version(KJV)
→thy coming

★まとめ

●presenceでは存在すること=臨在を意味し、come(ing)では来る(こと)=来臨を意味するようにされている。

●JW書籍では王国逐語訳、英語版新世界訳聖書の両方でpresenceを用い、日本語版新世界訳聖書では臨在と訳している。

●一般の英語訳聖書では以下のように英訳されている。
○Good News Bible(GNB)→your coming
(朝倉の直訳:あなたの来ること)
○King James Version(KJV)→thy coming
(朝倉の直訳:そなたの来ること)

●一般の日本語訳聖書は以下のように日本語訳されている。
○新共同訳聖書→あなたが来られて
○新改訳聖書→あなたの来られる(時)
○口語訳聖書→あなたがおいでになる(時)

★結論:“現に目の前にあること”を意味する語を用いているのはJW書籍のみであり、王国逐語訳であっても同じである。

3.根本的な問題

●そもそも問題語句に該当するギリシャ語には“臨在”と“来臨”の両方の意味がある。
→原文で挙げられている聖句に関して実際に比較する。

●問題語句に関するマタイの参考聖句[マタ 24:27]

共:『稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。』
改:『人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。』
口:『ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。』
世:『稲妻が東の方から出て西の方に輝き渡るように、人の子の臨在もそのようだからです。』
G:『For the Son of Man will come like the lightning which flashes across the whole sky from the east to the west.』
K:『For as the lightning cometh out of the east, and shineth even unto the west; so shall also the coming of the Son of man be.』
N:『For just as the lightning comes out of eastern parts and shines over to western parts, so the presence of the Son of man will be.』

※ジーニアス英和辞典より
・unto=“to”の古い言い方。~に、~へ、~まで。

●問題語句に関するマタイの参考聖句[マタ 24:30]

共:『そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。』
改:『そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗ってくるのを見るのです。』
口:『そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。』
世:『またその時、人の子のしるしが天に現われます。そしてその時、地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき、彼らは、人の子が力と大いなる栄光を伴い、天の雲に乗って来るのを見るでしょう。』
G:『Then the sign of the Son of Man will appear in the sky; and all the peoples of earth will weep as they see the Son of Man coming on the clouds of heaven with power and great glory.』
K:『And then shall appear the sign of the Son of man in heaven: and then shall all the tribes of the earth mourn, and they shall see the Son of man coming in the clouds of heaven with power and great glory.』
N:『And then the sign of the Son of man will appear in heaven, and then all the tribes of the earth will beat themselves in lamentation, and they will see the Son of man coming on the clouds of heaven with power and great glory.』

○マタ 24:30と並行する部分

マコ 13:26
共:『そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。』
改:『そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。』
口:『そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。』
世:『またその時、人々は、人の子が大いなる力と栄光を伴い、雲のうちにあって来るのを見るでしょう。』
G:『Then the Son of Man will appear, coming in the clouds with great power and glory.』
K:『And then shall they see the Son of man coming in the clouds with great power and glory.』
N:『And then they will see the Son of man coming in clouds with great power and glory.』

ルカ 21:27
共:『そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。』
改:『そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。』
口:『そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。』
世:『そのとき彼らは、人の子が力と大いなる栄光を伴い、雲のうちにあって来るのを見るでしょう。』
G:『Then the Son of Man will appear, coming in a cloud with great power and glory.』
K:『And then shall they see the Son of man coming in a cloud with power and great glory.』
N:『And then they will see the Son of man coming in a cloud with power and great glory.』

※ジーニアス英和辞典より
・lamentation=悲嘆、哀悼。
・mourn=悲しむ、嘆く。≒lamentation
・tribe=種族、部族。

●問題語句に関するその他の参考聖句

使徒 1:11
共:『言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」』
改:『そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」』
口:『言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。』
世:『こう言った。「ガリラヤの人たちよ、なぜ空を眺めて立っているのですか。あなた方のもとから空へ迎え上げられたこのイエスは、こうして、空に入って行くのをあなた方が見たのと同じ様で来られるでしょう」。』
G:『and said, "Galileans, why are you standing there looking up at the sky? This Jesus, who was taken from you into heaven, will come back in the same way that you saw him go to heaven."』
K:『Which also said, Ye men of Galilee, why stand ye gazing up into heaven? this same Jesus, which is taken up from you into heaven, shall so come in like manner as ye have seen him go into heaven.』
N:『and they said: "Men of Gal'i‧lee, why do ​YOU​ stand looking into the sky? This Jesus who was received up from ​YOU​ into the sky will come thus in the same manner as ​YOU​ have beheld him going into the sky."』

一コリ 15:23
共:『ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、』
改:『しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。』
口:『ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、』
世:『しかし、各々自分の順位にしたがっています。初穂なるキリスト、その後、その臨在の間に、キリストに属する者たちです。』
G:『But each one will be raised in proper order: Christ, first of all; then, at the time of his coming, those who belong to him.』
K:『But every man in his own order: Christ the firstfruits; afterward they that are Christ's at his coming.』
N:『But each one in his own rank: Christ the firstfruits, afterward those who belong to the Christ during his presence.』

フィリ 3:20
共:『しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。』
改:『けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。』
口:『しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。』
世:『しかしわたしたちについて言えば、わたしたちの市民権は天にあり、わたしたちはまた、そこから救い主、主イエス・キリスト[が来られるの]を切に待っています。』
G:『We, however, are citizens of heaven, and we eagerly wait for our Savior, the Lord Jesus Christ, to come from heaven.』
K:『For our conversation is in heaven; from whence also we look for the Saviour, the Lord Jesus Christ:』
N:『As for us, our citizenship exists in the heavens, from which place also we are eagerly waiting for a savior, the Lord Jesus Christ,』

※ジーニアス英和辞典より
・afterward=その後、以後。
・behold=~を(じっくり)見る、見守る、注視する。
・eagerly=熱望して、熱心に、ひたむきに。
・exist=存在する、実在する。
・firstfruits=初物、初穂。
・gaze=じっと見つめる、ぼんやりと見つめる、凝視する。≒behold
・manner=方法、やり方。
・order=順序、順番。
・proper=適切な、適した、ふさわしい、好ましい、正しい。
・Savior, Saviour=救済者、救う人、救国者。救世主、キリストの意ではSaviour。
・thus=このように、そのように。
・whence=“where”の古い言い方。どこから、(そこから)~する。
・ye=二人称複数形所有格、所有代名詞、目的格の古い言い方。なんじらは、そなたたちは。呼びかけで“なんじら”。

●主題と並行する部分

マコ 13:4
共:『「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」』
改:『「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」』
口:『「わたしたちにお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。またそんなことがことごとく成就するような場合には、どんな前兆がありますか」。』
世:『「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして、これらのすべてのものが終結に至るように定まった時のしるしには何がありますか」。』
G:『"Tell us when this will be," they said, "and tell us what will happen to show that the time has come for all these things to take place."』
K:『Tell us, when shall these things be? and what shall be the sign when all these things shall be fulfilled?』
N:『"Tell us, When will these things be, and what will be the sign when all these things are destined to come to a conclusion?"』

ルカ 21:7
共:『そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」』
改:『彼らは、イエスに質問して言った。「先生。それでは、これらのことは、いつ起こるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう。」』
口:『そこで彼らはたずねた、「先生、では、いつそんなことが起るのでしょうか。またそんなことが起るような場合には、どんな前兆がありますか」。』
世:『そこで彼らは質問して言った、「師よ、そのようなことは実際にはいつあるのでしょうか。また、そのようなことが起きるように定まった時のしるしには何がありますか」。』
G:『"Teacher," they asked, "when will this be? And what will happen in order to show that the time has come for it to take place?"』
K:『And they asked him, saying, Master, but when shall these things be? and what sign will there be when these things shall come to pass?』
N:『Then they questioned him, saying: "Teacher, when will these things actually be, and what will be the sign when these things are destined to occur?"』

※ジーニアス英和辞典より
・destined=運命づけられた、前もって定められた。
・fulfilled=満足して。
・occur=起こる、生じる、行われる。

●朝倉の補足考察等

○新世界訳聖書では“臨在”と“来臨”ないし“再臨”が混在している。
→“臨在”表現=1914年に始まった天での支配期間、“来臨”表現=ハルマゲドンでのキリストの地上再臨そのもの。

○“臨在”であるメリット、“来臨”であるデメリットとは何か。
→(目には見えないが)既に“臨在”しているのであれば“人の子(キリスト)の臨在=始まるとサタンが世で暴れる=今こそ終わりの時”の図式が出来上がり、ある程度長く続けられる。
→これが“来臨”となれば実際にキリストが再臨する必要が生じてくる=“終わりの時”と言いつつもキリストが再臨しない事態、または“前兆”“しるし”があるにも関わらずキリストが再臨しない=聖書と現実が矛盾する、といった事態が生じる。

★まとめ
ハルマゲドンの教義に度重なる変更が加えられたことからも、“来臨”でなくあえて“臨在”とすることで終末に関してあやふやにする必要があった。

4.ギリシャ語“アイオーン”の誤訳について

●王国逐語訳
→conclusion of the age
(朝倉の直訳:その時代の終局)
●英語版新世界訳聖書
→conclusion of the system of things
(朝倉の直訳:“事物の体制”の終局)

●王国逐語訳では“アイオーン”=“age”=“時代”である。
●新世界訳では“アイオーン”=“the system of things”=“事物の体制”である。

●“アイオーン”に該当するギリシャ語の意味は世代、この世、現世、長い時、永遠、世界である。
→本来のギリシャ語の意味を考えれば王国逐語訳は正しいが新世界訳では明らかな誤訳が見られる。
→事物の体制という言葉は言わば“エホバの証人用語”であり、他では使われない

●朝倉の補足考察等

○“事物の体制”と誤訳することによって終結するものが時間や空間ではなく社会の仕組みに置き換わっている。
→“エホバ vs サタン”の構図を明確にする意図があるのではないか。
→つまりこの悪しき現代社会(事物の体制)を司る世の支配者サタンに対する警戒を促しやすい。
→彼らが度々口にする“エホバの主権を支持する”ことはすなわち“この世の事物の体制に従わない”ことである。

5.JW公式のオンライン・ライブラリー項目“事物の体制”に関する考察

●アイオーンの定義の一つとしてリデルとスコットが著した“希英辞典”から“明確に限定され区分された時間的間隔,時期,時代”があるとしている。
●また“バインの旧新約聖書用語解説辞典”から“時代”の英訳について“age,era……[それは]不定の時間持続する期間,またはその期間内に生じる事柄に関連する観点から見た,時を意味する”と書かれている。
→この連続での2つの引用が意味するところは希英辞典の定義として述べられていた“明確に限定され区分された”の箇所に比重を置き、“age”等では伝わらないという主張である。

●“事物の体制”が出てくる場面での“アイオーン”は時間そのものよりもある期間を明確に限定し区分する意味合いが強いため、アイオーンを“事物の体制”と訳すのは適切かもしれないと主張している。
→“明確に限定され区分された時間”のことを日本語では“時代”と呼ぶのではないか。Ex.平安時代、アイドル戦国時代等。
→時そのものは“time”でありただ流れるだけで特色は持たないが、特色によって区分されると“age”となるのではないか。
→区分する意味合いが強い“時代”というのはまず存在しないのではないか。
→単純に考えれば“鎌倉新仏教によって鎌倉の事物の体制から救われた”と言えば“封建社会から救われたのか”などと解釈できるし、“鎌倉新仏教によって鎌倉時代から救われた”と言えばもっと広い意味で捉えられる。また前者に関してはそもそも宗教によって救えるものではないはずである。

○事物の体制と訳す方が適切である証拠とされている聖句[ガラ 1:4]
共:『キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。』
改:『キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。』
口:『キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。』
世:『[キリスト]はわたしたちの罪のためにご自身を与えてくださいましたが,それは,わたしたちの神また父のご意志にしたがってわたしたちを現在の邪悪な事物の体制から救い出すためでした。』

●ガラ 1:4について、キリストの贖いの犠牲がその時代からクリスチャンを救い出すのに寄与したわけではなく、その理由をクリスチャンがその後も信者でない者と同じ時代に生活していたためと述べている。
しかし彼らはその時期に存在していた特徴となる(邪悪な)事物の体制から救い出されたと続けている。
→それが正しいとすれば“仕組み”“社会”に相当するギリシャ語で書かれているはずではないか。“アイオーン”である以上は“事物の体制”と翻訳するのは誤りである。

★まとめ:希英辞典に書かれている定義の“明確に限定され区分された”の部分に重きを置いて“事物の体制”の翻訳を正当であるとしているが、区分する意味合いが強い“時代”の例としてガラ 1:4は適切であると言えない。そもそも“time”を明確に限定して区分することにより“age”になるだけであり、区分する意味合いの強弱など無いのではないか。
そう誤訳することで時間が社会の仕組みに置き換わり、エホバとサタンの主権争いの構図がより明確になるのではないだろうか。
部屋の扉をバタンと閉めた。
隅にたどり着く前にへたり込んで三角座り。

扉一枚隔てるだけで伝わらない。

去りゆくのは微かに聞こえた足音だけ。
取り残されたものを糧に笑うこと。 
飼い続ければこの先の僕は操られないだろう。

願わくばせめて、本心でありますように。

難しいだけではない理由があった。
優しさとは程遠くて。
強さは欠片も持ち合わせていなくて。
いつしか呼ばれなくなり、忘れ去られた名前。

唯一の後悔はその棘だから。
何度だって傷つけた。
側に居た誰もがきっと、僕よりも傷だらけ。

もっと素直になれたらな、とか。
もっと優しくできたら、とか。

言えるわけがなかった。
きっと限界だったのだから、あれが。

次は無い。
その事実だけがぬいぐるみのように温かい。
神はない。
その事実だけが平常心と諦念の支柱だ。

一歩、一歩と後ずさる。
二重三重の枷はその足を砕いてくれる。

つまり今が最後の機会なのかもしれない。

立ち止まってみようか。
景色を眺めて夜明けを待とうか。

考えることもない。
ただ、待ちたければ待てば良かった。
それだけの、話だった。

さあ。次はどんな解釈で捉えようか。
想うだけなら勝手、だろう?

明日にはぺろり、明後日にはけろり。
そのために今日は、ぽろり。

想像以上に薄くなった影をぼんやりと眺めていた。
ゆらゆらと揺れていたそれは時間が経つにつれて明らかに薄らいで見えた。

カゲナシの如くいつか忘れ去られるだろうか。
今こそ強がらねばならないのだろうか。
何かをする度に虚しさばかりがこみ上げてくる今こそ強がらねばならない。

たったの一言も与えられない。

笑い飛ばすべき現実に翻弄されるようでは修行が足りない。
何度も頂いたその言葉はまるで呪文だ。

あれだけ奔走した日々が夢であったかのように今の僕は全てを放棄している。
否、したいと願っている。

恐らく二度と行動することは無いだろう。
何かできたらと願う気持ちに抗えるだろう。
今度こそ懲りてしまったのかもしれない。

東奔西走お節介の私は、人間を好きになれる私は、言わば僕の影に呑まれたのだ。

嫌いじゃない。
あまりに意味が無さすぎると悟ったからさすがに懲りたんだ。

何気ない一つの行動がここまで突き刺さるなんて。

そう。
身を投げるより先に結局は自分という存在を投げたんだ。

いつかひっそりと完全に姿を消す日が訪れるなら、今のうちに伝えようか。
そんな大切だった願いに対する行動すら起こさないでおこうと考える。

数式を難解と捉える頭で数式ですらないものなんて、理解できる筈がなかった。

連休も明けた。
もうここでどちらも区切りなんだ。いや、区切りにせねばならない。
ただ最後に何かを望んでいた心が終わらせなかっただけ。

胸に下げたその日付に全てが始まり、全てが終わった。
二次方程式の文章題とするならその答えは負の解が適当に違いない。
下げた理由は正だとしても。
もし意味を問われる機会があればきちんと口にしなければならないだろうか。

帰属意識も全て捨てて、昨日までを無かったことにしよう。全て。
「言っておくけど、実はそんなに気長くないから。」ね。

さあ、どうしよう。

粉々、あの日棄てられた菓子のようだ。
想い続ければいつまでも笑えない。
食べられもしないのにどうして、どうして。
落としたケーキは二度と食べられない。
例え一口しか口にしていなくても。

初めての手紙はどんな思いで綴られたのだろう。
消え失せた居心地の良さに何を感じただろう。

こんなつもりではなかった。
敵意を向けられたくはなかった。
終焉は笑い合って迎えたかった。
違うのに、違うのに。
そんな風に解釈してもらいたくなかった。
望んだのは別離であって喪失ではなかったのに。
でも仕方のないことなのだろう。
考えて考えて、残ったのは9文字だった。

そんな想いが見えたような気になって。
記憶よりも乱雑に見えた筆跡は幻か。 
受けた痛みの表れか、はたまた無関心か。
知る術は無いけれど、許されるなら知りたい。

嫌いになれそうな気がした。
落胆したのは真実。
失望したのも真実。
その勢いで好意を敵意に変えられれば楽だった。

君は開いただろうか、すれ違った最後の手紙を。
同封された指輪だけが語る冷めた届け物。
「伝えたいことなど尽きた」と言わんばかりに。

前の手紙にまだ息があるならわがままを聴いて。
読み返して、信じて。
想定から外れても気持ちは変わらなかった。


何を言ってもね。
何をしてもね。
何を言われてもね。
何をされてもね。
ねえ、綴ったその言葉に嘘は無かったよ。

だから謝りたいな、いつか機会が貰えるのなら。
軽率なことをしたと謝りたい。
せっかくの砂城を崩してごめんなさい。
傷付けたね、ごめんなさいと。

2度落としたケーキよりも棄てがたい。
これ以上悔いないよう踏みにじった全ては。
輪郭を残すことにすら危機を感じたんだ。
今もお気に入りのタイはクローゼットに無いままで。

精一杯の尊重だった。
できればもっと穏便に尊重したかった。
これでも必死に、戦ったのさ。

私の代わりに笑って過ごしてくれたらな。
そのためなら忘れ去られることも厭わない。
ありがとう、さよなら。
早くそう伝えたいと願うために生きるよ。
大丈夫の呪文とポジティブグラスでいつものように。

世界が日常を取り戻したらしい。
これが僕だから。
あの日の君が涙した僕本来の姿だから。
泣いてくれた君のために、やっぱり僕も笑おう。

ほら、大丈夫。

効率を下げる方法は採らずに済ませる。
踏み台に頼るよりもまずは背伸びをしよう。
そんなリアルをスタンスに組み込んで。

だから、大丈夫。

涙とホイップでぬかるんだ踏み台など前轍だ。
使うもんか、踏むもんか。絶対に。

捕手じゃない、打者になる。
どんなに傷付けようとどんなに砕こうと。
直球は打ち返せば良かった。
真っ当な拒絶とは正にこのこと。

この街で得たものとは独りでいるための揺るがぬ理由だったんだ。

いつからだろう、思い出せもしない。
優しかったはずの眼差しに記憶を重ねて怯え始めたのは。
いつからだろう、思い出せもしない。
嬉しかったはずの一挙手一投足に不安を覚え始めたのは。

愛で覆いなさい。

大嫌いな書物の教えに則って思考停止。
気が付けば記憶を辿る歩み。

今は引き戻された世界にぽつんと一人。
瓦礫を振り返りながら何を思えば良いのか。
何も持たないがために直せない、捨てられもしない。
捨てるには少し、愛しすぎたから。

前を見れば延々と続く道。
足元には幾つもの穴が口を開けて待っている。
いつの間にか手足の枷は三重にもなっていて。
諦めて座り込もうにも真後ろは針の山。

周りを見渡せばそびえる山々。
そこからは小細工など見えやしない。

もうあの日のように引きこもることも許されない。
前進あるのみなのだ、進み方も分からないくせに。

その笑顔一つで救われた。
本当に何もかも、それで良かったの。

日の昇らない街であかりを灯す。
それでも太陽を恋しく思うのは何故だろう。
何を叫ぼうときっと、あの空にはもう響かない。
闇に音は閉じ込められているのだから。

抗えども変わらぬ宿命はやはり変わらなかった。
一度は受け入れようとしたそれをもう一度。
服に隠れた傷など無いも同然、何事も無かったかのようにもう一度。
なのに呪文を忘れた僕は予想以上に無力で。
気が付けば丸腰だったから。

そして世界は再び無様に歪みゆくのだった。
度の強くなった眼鏡を掛けて何処を旅しようか。

それとも旅など二度としないだろうか。

伝えたかった想いなんてただ一つだけ。
なのにそれすら届かなかった。
見上げた姿を畏れたばかりに。
恐る恐る握った手の冷たさに戸惑ったばかりに。
本当にどうしていいか分からなかったんだ。
手探りで必死で、きっと滑稽だったね。

残念だよ。
不器用で、ごめんなさい。