函館ちゃんちゃんこ物語44(2)「甦る日本海の楽園・奥尻島」 | 海峡kid.の函館ちゃんちゃんこ物語

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函館ちゃんちゃんこ物語44(2)
 

やがて閉館し取り壊される奥尻島ユースホステルに荷物を置いて、

地理研メンバーは早速野外調査である。

教授はノリノリであったが、

学生の興味は、奥尻島の海岸に点在する奇岩や美しい海岸であった。
幽霊だった二日酔いの3人も、

奥尻島の自然に触れるにつれて、次第に人間に戻っていった。
 

 

「甦る日本海の楽園、奥尻島」

 

奥尻島に渡った地理研3年生、北の楽園、奥尻島の自然を満喫、地理実習だ!ということもすっかり忘れて、教授とともに遊びまくり、宿のユースホステルに戻った。
 

 

昔の学校で使った二人用の木の机と小さな椅子で夕飯を食べ、小学生に戻った気分!・・・もちろん気分だけで、決して可愛くはない。おまけに爺もいる。
でも、爺は食器洗いが得意で、みんなの食器を手際よく洗ってくれて、それをみんなで手分けして、元の位置に収納した。

夕飯を食べ終わると、奥尻上陸時はゾンビだった、寡黙道場海峡男、クマさん伊藤正盛、神童中田文司の3人は、明らかに蘇り、元気な心と体に生まれ変わった。

いよいよ、待ちに待った栄光の、地理研トランプ大会である。蘇った3人の目は、「このときのために生きている」的に輝き、テンションは頂点に達している。

その夜は遅くまで、地理研メンバーの可愛く若々しい声が、時には、クマさん伊藤の吠える声、神童中田の奇声が島の隅々にまで響いていた。

 

 

その日から15年経った1993年7月12日、午後10時17分。北海道南西沖を震源とする「北海道南西沖地震」が奥尻島を襲った。
マグニチュード7.8、推定震度6。
この地震とその後の津波や火災で、死者・行方不明者230名が犠牲となった。

 

(復興した奥尻島青苗地区)

 

当時海峡男は、故郷のTVで奥尻島の被害状況を見て、あの美しい奥尻の風景の変わりように愕然とした。


しかし、奥尻島の人々はその壊滅的被害から立ち上がり、震災発生から5年後、1998年(平成10年)3月に「完全復興宣言」をした。
復興した奥尻島の人々が伝える心「島ヂカラ」、今も、奥尻の自然の美しさとともに、地理研メンバーの一人一人の心にしっかりと刻まれていることだろう。

 

奥尻島のマスコットキャラクター「うにまる」

 



続きます。

 

 

 

※おことわり
この物語は、実際にあったかどうか疑わしいことを、作者の老化してぼんやりした記憶をもとに書かれていますので、事実とは全く異なります。登場する人物、団体、名称等は、実在のものとは一切関係はありません。
また、物語の中の写真はすべてイメージです。

 

「函館ちゃんちゃんこ物語」

毎年届く年賀状。その中には学生時代の懐かしい仲間のものもある。ここ数年多くなったのが「退職」の知らせだ。いつの間にかみんな年を取った。

道場海峡男(どうばうみお)は、本棚の隅から、大学の研究室の機関誌「学大地理」を取り出した。色あせた機関誌だが、40年前の懐かしい思い出の数々が鮮明に蘇って来た。

研究室の仲間、ちゃんちゃんこ軍団の同志、4年間の輝く函館の歴史がここにある。